性はいやらしいもの?
私の性に対する価値観
性は、いやらしいもの
性は、恥ずべきもの
性は、エロいもの
そう思ってた。
今も思ってる。
けど、
性ってゆう生々しくても生きる根源と向き合ってた昔の日本人のことを知って、その価値観が少しずつ変わってきた。
子どもを産めたり子宮から神とつながってる女性を崇拝していたひとたち
精子=植物の種子と重ねて、男性器を祭りながら稲や穀物が育つことを願ってたひとたち
見つめあって愛すること、身体を重ねることをまぐわいってゆってたひとたち
男女がまぐわってる姿が描かれた道祖神を村境に建てて村を守ってもらったり、村に幸せを運んでもらおうとしたひとたち
性風俗画である春画を、戦争に行くときに性=生のお守りとして持って行ってたひとたち
娘の嫁入り道具に春画をいれて、愛してるひとと身体を重ねることは気持ちいいことなんだよって子どもに伝えようとしたひとたち。
こうゆう人たちがいたことも、
古事記や日本書紀が、いざなぎやいざなきなどの神様がまぐわいながら日本を作っていったことを書いてたことも、
わたしは知らんかった。
明治に外国の人たちが来たことで、新しい文化が入ってきたことは知ってた。
その一方で、
日本中にあったまぐわってる道祖神や、
混浴の風習、春画、性のお祭りとか、日本人が大事にしてきたものは
外国人の目を気にして隠れていったり
物理的にも壊されていったことは知らんかった。
日本が戦争に負けて米国の統治下になったらさらにそれが進んだことも、
いままでの教科書に墨を塗らされて
これまで日本で伝えられてきたことをなかったことにされたことも知らんかった。
外国の医療技術や知識が伝えられて
日本で蔓延してた性感染症がなくなっていったってゆういいこともあるけど、鎖国を終えたことでいろんなことが変わったってことも、知らんかった。
新しいことを知るたびに、
日本のこと私はほんまに知らんねやなあって思う。
私は何を忘れてるんやろうって思う。
でも身体は忘れてなくて
春画を初めて見たとき何故か惹きこまれたり
挿入することがセックスなんじゃなくて、目を合わせてからだとこころがつながることがセックス、まぐわいだって身体が覚えてたり。
ご先祖様と同じ身体、同じDNAを持ってるんやなあって思う。
性は私にとって、あったかい繋がり。
命のつながり。生きる繋がり。
まず、自分とのつながり。
それがだんだんわかってきた。
でも、
性はいやらしいもの、
隠すもの、恥ずかしいもの
この価値観でいるほうが正直楽。
だってその価値観に慣れてるもん。
でも私は、
だれかに触れたい欲求、気持ちよくなりたい欲求、性癖を満たされたい欲求を、まず私が受け入れて大切にすることに決めた。
ご先祖様たちは、自分のその欲求に目を向けて
自分自身を大切にすることを一番大事にしてたんじゃないかなあって思う。
それを受け入れてくれる社会やったんちゃうかなあって思う。
それが、いまの日本人とご先祖さまとの違いなんちゃうかなあって思う。
私が嫌いだったことは、
性的な欲求をただ押し付けられたり
私の身体を利用されて、私を大切にされなかったこと。
でも、そのとき私も
私自身の気持ちや欲求を大切にしてなかったんやろなあって思う。
私が一番必要だったことは、自分自身とまぐわうこと。
自分自身とまぐわいはじめてから
あったかいセックスができるようになった。