テレーズになりたかった

映画『キャロル』。クリスマス前の賑やかなデパートで偶然出会った二人が惹かれ合い時を共にする、ロマンチックな作品。邦訳された原作も良いですが、映画は主演二人の表情や目から直接伝わる熱量があって更に気に入っています。
※ 映画のレビュー記事ではないです 自分の話です

キャロルに「天使」と評されるように出会った頃のテレーズは清らかで可愛らしい。私に言わせれば「こねこちゃん」。ルーニー・マーラのころんとしたボブにカチューシャのスタイル。言葉より訴える熱い瞳、愛さずにはいられない。同時にこんな可憐な女の子になりたいと憧れも抱いた。いつかテレーズから見るキャロルのような大きな存在に出会いたかった。強烈な恋慕と幸福に呑まれたかった。

テレーズのファッションや振る舞い方は映画の中で時が流れるにつれ変わっていく。幼い可愛らしさよりも強さが表に出てくる。
この変化を自分は""""わかった""""。
テレーズと同じように、ひとりの人間を想い暮らす年月の中で自分にも変化が起こった。理屈も説明出来るがそれよりは気分や感覚的なもの。テレーズと違い、自分の場合は"女性らしい" "とされている"服を着る事に抵抗が生まれた。
今では黒を基調としたノンバイナリーファッションを身に纏うようになっている。もちろんそういう服が好みだからという理由なんだけど、少し前までふわふわしたスカートを履いて髪もふわふわさせていた自分からすると急激に舵を切ったものだなと

『可愛くはいられない』、
このフワッとしたうんざり感にはふたつあると思うんだけどどっちも理屈捏ねるなら行き着くのは強くなりたいみたいな事かな

他の性になりたいとか女性の自認に違和があるというわけではない。性で分類される事が嫌になった。そこに付随する"らしさ"の概念も嫌だ。勝手に女性の土俵に上げられる事も嫌だ。この骨格・体格・声である以上、また意図しない所作や話し方から自分が周囲の人間から女性であると判断されるのは避けられない事だけどもうそれが嫌だ。
嫌なこと羅列して良い? いいよ たまに明るい色の服着ると今日可愛いねって言われるのが嫌だ。いいにおいするねって言われるのが嫌だ。髪結んだらそっちのがいいよって言われるのが嫌だ。怪我したら傷跡がどうとか言われるのが嫌だ。褒めてるつもりだろうと発する方に悪意が無かろうと徐々に徐々に神経質になっていく。悪意が無いなら良いみたいな話では無いしあらゆるハラスメントやマイクロアグレッションについては周知も理解もされてほしい。ルッキズムにも思うところはあり、個人の美醜観は刷り込みで育つ物だと知っており、"美しさ"の定義がひとつじゃないと知っている。ジャニーズにメロメロのオタク(一人称)なので説得力ねえなと思われるかもしれんけど
や、自分は容姿を武器にする世界にはおらずただ生きているだけなので 他人に容姿をどうこう言われる筋合いマジでねえというわけよ
好きな相手に言われれば喜べるものもあるのかもしれんけど自分はほとんどの人間が好きじゃないのでもううんざり
でもこねこみたいなテレーズに憧れた。実際一時はテレーズだったかもしれない。そのテレーズも変わり、私も変わった。別にいまの自分の服やメイク超好きだから良いけど。
自分がこんなにもうんざりしているのは恋愛嫌悪も大きいと思う。"アリ"判定される事がメチャクチャ嫌。多分今後一生テレーズになれない。

みたいな話です