ウイスキーのロックダブルで

なんだかんだと理屈を並べてもつまるところ私は変態なのだと思う。湧き起こる激しい情や衝動に苛まれる事が生だと感じる。エネルギージャンキーとでも名付けようか。平穏を求める一方で、ゆるやかに命を減らしていっても仕方ないというような、生への渇望がある。前のめりに生き急ぎ続けて且つ死に急いで死ぬ。打ち上げ花火ではない。パッとしない色の手持ち花火になりたい。全てを散らし終わる前に水の張ったバケツに飛び込み、「ジュッ」と音を立てて終わりたいのだ。
情のベクトルに関わらない絶対値。振り切っていたい。快楽も苦痛も膝下に敷き詰めて足を取られザブザブと飛沫を散らし全身を濡らしてときおり飲み込みながら進みたい。自分が映画の中の主人公の人生を体感できるとしたら『フリー・ファイヤー』のスティーヴォか『時計じかけのオレンジ』のアレックスがいいと思うのだ。両者は暴力性に富み倫理観に欠けている。理性を失えば高いエネルギーをもって生を謳歌出来るはずだ。(だからといって私には他者に暴力を振るいたい願望はないが、)強い衝動と強い抑制の狭間でもがきながら、ぼんやりと気の抜けた顔をして過ごす彼らが羨ましく思えるのだ。
高いエネルギーが循環する中には破壊と再生が伴う。昨日の私と今日の私は別人でありたい。目まぐるしく捨てては取り入れ再構築し、毎日新しい世界で生きたい。他人の物差しや理屈に構わず欲を追い求めたい。そんな渇望を芯に溜め込みつつ、変わり映えしない毎日でただぼんやりと気の抜けた顔をして過ごしている。法と良識の範囲内で生きなければいけない。



昨晩「アングスト」を観た。

前記事で書いた、幼き日の自分の過ちを思い出し、あぁ…………………みたいな気持ちに

アングストは事実を元にした作品であるが、主人公がとある殺人について「突然"やらねば"と思った」「申し訳ない」と述べている。私の蟻殺しにもまともな動機はなかった。


もし私の中にも彼らのような暴力性が潜んでいたら?と考えると恐ろしくなるが、自分がしこたま酒を飲んでも推しのライブ円盤を観ながらペンライトを振りひとりで大盛り上がりするだけなのだから可愛いものだ。私の腕力はペンライトを振るためだけにある。