八筒
4年前。
Aさんと初めてお会いして、対局させて頂いた時のこと。
私には『出ている放送対局は可能な限り全部見る』と決めているプロが数人いる。
Aさんはその中の一人だ。
一回戦目から同卓することが出来た私は、初めましての挨拶もそこそこに、高ぶる気持ちのまま卓についた。
『嬉しい、嬉しい、、』
頭の中はその言葉でいっぱいだった。
そして
『良いところを見せたい』
そう思い、いつも以上に意気込んでいた。
私の麻雀の良いところ。。。
(-_- )oO
うーん…
配牌ドラドラが多いところ?
(. ❛ ᴗ ❛.)
そのくらいで、あとは野となれ山となれ麻雀だ。
それでも自分ができる、精一杯の良い麻雀を好きなプロの前で打ちたい。
その気持ちを強く持ち、対局に入った。
東一局、いきなり勝負手が入る。
ドラ雀頭のタンピンが見える手だった。
すると早い巡目でテンパイした。
②⑤⑧待ちの三面張
ただ、⑧は切ってしまってあるのでフリテンだ。
出あがりができないなら、リーチしてツモるまで。
『リーチ!』
ツモれば跳満、いきなりいい所を見せられるチャンス…!
そして下家のAさんは少し考えたあと、私の現物⑧を切った。
おさらいしておこう。
私はフリテンリーチをかけた。
下家のAさんが現物の⑧を切った。
ここまではいいですね?
そして
「ロン」
発声でだけでなく、倒牌までしてしまった。
入れ込んでいた私は、反射的にあがってしまったのだ。
倒牌した瞬間、下家のAさんと真顔で見つめ合ってしまった。
2〜3秒ほどだったと思う。
でも体感的には10分くらいに感じた。
私はAさんを見つめ、固まったまま蚊の鳴くような声で
「ごめんな…さい…」
というのがやっとだった。
『人間って、本当に恥ずかしいと顔だけじゃなく、腕までこんなに赤くなるんだな…』
牌を流し込む自分の腕を見て
『ザリガニより赤い』
その頃流行っていた、多井さんの名セリフを頭の中でリフレインしていた。
そしてそれから3ヶ月ほどは、毎朝起きるとその時のことを思い出しては悶えていた。
(´;ω;`)(@_@;)(ノ*0*)ノ(TT)
恥ずかしさと後悔で、七転八倒してから、仕事に向かう日々。
これを忘れる手段は、ただひとつ。
『もう一度対局して、思い出の上書きをすること』
それしかない。
でも次の機会はなかなか訪れなかった。
まずコロナ禍になり、それどころではなかった。
そしてようやく規制が緩和され、Aさんのゲストの情報を集めた。
やっと参加できるイベントがあったが、自身が体調を崩し見送ることになった。
全米が泣いた。
そして今年。
ようやく、その時が来た。
4年間。
どれほどこの時を、待ちわびたか。
あの頃の私は、配牌ドラドラの特殊能力しかなかった。
でも今は違う。
進化した私の麻雀をお見せしましょう。
まるでドラゴンボールのフリーザのようなセリフを思い浮かべて、Aさんの対面に座った。
東一局、6巡目。
『ロン』
上家の親の手牌が開いた。
『12000』
親のダマ満貫。
人は言う。
『これは仕方ないよ、交通事故にあったようなもんだから』
だったらもう、救急車を呼んでほしい。
ダブ東ドラドラに飛び込んだのは私だった。
イヤだ!!
絶対払いたくない!!
( ;∀;)
断る!!!
そんな気持ちは微塵も見せずに、爽やかに軽やかに、はい☆と答え、速やかに点棒を支払った。
公式ルールでの12000ビハインド。
致命傷だ。
でも私は偉かった。
全身包帯だらけでも諦めず、オーラス満貫あがればトップまで見える位置につけていた。
オーラス、いつの間にかトップ目になってるAさんの親番。
私は祈るように配牌を開けた。
ドラドラ。
ここへ来て、私の配牌ドラドラの特殊能力が発揮された。
(進化した私はどこ行った)
4巡目に⑥を切って、ドラの⑧で雀頭固定をした。
次巡持ってきたのは⑧
リーチドラ3の満貫が見えた。
そしてカン六待ちでテンパイ。
良形を待たずにリーチした。
下家はオリた。
上家もオリた。
でも、親のAさんは向かってきてくれた。
Aさんはノーテンでもトップだ。
あがりに来る理由がない。
いや、理由はある。
私の思うAさんは、人一倍努力の人だ。
ずっと見てきてそう思う。
どんなことも全て経験として積み上げ、自身の力にしている人の麻雀だと私は思っている。
だから今も、ラス目の私からのリーチの意味と待ちを読み、何とかあがりに向かう鍛錬をしているのだ。
麻雀IQが高いのは、天才だからじゃない。
努力と、飽くなき探求心によって作られている賜物なのだ。
そう、Aさんとは。
勝又健志プロだ。
残り3巡。
勝又さんの手が止まる。
腕を組み、こめかみに指を当てて、あの勝又さんが私の牌を必死に読んでくれている。
真剣に正解を探る表情は、本当に格好良かった。
その姿を見て
『家に持って帰って、飾りたい』
などとは決して思わずに、あくまで真剣に、対局者として、あくまで真剣に、取り組んでいた。(2回言うところが、とってもあやしい)
そして勝又さんが打ち出した牌は、場に生牌のドラの⑧だった。
場に生牌。
そりゃそうよ、だって私が3枚持っているもの。
え、何で?
スジにすらなっていない、生牌のドラをこの巡目で切る理由が分からなかった。
そして…
『ツモ』
あがったのは勝又さんだった。
開けた手牌に私の当たり牌がきっちりと止められていた。
負けて清々しかった。
そして嬉しかった。
でもどうしてもひとつだけ聞きたかった。
「どうしてドラの⑧を切れたのですか?」
いつもなら、しないけれど、自分の牌を開け、ドラが3枚あることを告げた。
すると勝又さんは、私の4巡目に切った⑥を中指でチョンっと触った。
「この巡目にこれが捨ててあると、ドラで当たることが少ないんだよね」
そして、キラーン☆と笑った。
キラーン☆と。
私は思わず胸を押さえて
「しびれる…」
と心の声を口にしてしまった。
勝又さんは
「えー?」
と、聞き返してきたので、敗者の礼儀として、もう一度きっちりと「しびれました…」と伝えた。
勝又さんは満足そうに微笑んだ。
4年前。
私がチョンボした時。
勝又さんは私の謝罪に頷いただけで、フォローの言葉は一切口にしなかった。
それは、冷たいからではなく、私を初心者扱いせず、一人の対局者として見てくれていた証拠だ。
私はそれが嬉しかった。
そして今回の対局で、私の記憶は新しく保存された。
でもそれは上書きではなく、新たなファイルとして保存した。
思い出すたび恥ずかしかったチョンボの件も、忘れることなく大切にしよう。
失敗から学べる、むしろ失敗からしか学べないことの方が多いから。
うっかり上書きしないように、永久保存版のシールを貼っておかなくちゃね。
追記
Mリーグファイナルでの事をツイートした日のこと。
多くの人が反応してくれた。
好意的なコメントを残してくれた人も少なくない。
私と同じように、勝又さんを大好きな人がこんなに沢山いる。
そう実感した、嬉しい日でもあった。
最後に
私にはまだ、実るほどのものはないけれど。
いつか本当の意味で良い麻雀が打てるように。
これからも頑張ろう。
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