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帰り道

「一人で飲むのは寂しいから、一杯付き合ってもらえませんか?」

12月初旬。
信号待ちをしていたら、そう声をかけられた。

『生粋の…下戸やで?(⁠・⁠∀⁠・⁠)』

そんな気さくな受け答えをすることなく、神妙な面持ちで「ごめんなさい、今日は帰らなくちゃ」そう伝えた。

ナンパそのものに、特別何か思うことはない。

人それぞれだ、誰かに心の隙間を埋めて欲しい夜もあるのだろう。

でも私は寂しくない。
だからその気持ちに寄り添ってあげることは出来ないのだ。

寂しさを感じない理由。

恥ずかしい話だが、私が育った家庭はあまり温かくなかった。

見た目はちゃんとした家庭。

家族は真面目でしっかりしていて、礼儀正しく優しい人達だ。

ギャンブルもせず、お酒も飲まない。
いわゆる堅い仕事で真面目に働き、経済的には恵まれていたのかも知れない。

愛情も注いでもらったし、今でも大切に思ってくれてると感じる。

でも温かくは、なかったのだ。

家に家族が居るのに、誰も居ないような感覚。
食事中に会話はなく、テレビの音と食器の音しかしなかった。

家族と一緒の食事は楽しかった事よりも、緊張した記憶の方が遥かに多い。

今思えば、子供らしく素直に甘えたり、寂しいと言えば良かったなと思う。

そうすれば大人達も、家族の形も、違っていったのかもしれない。

でも小学校にあがったばかりの頃、家庭内の不穏な空気を感じ、子供なりに気を使ってしまった。

大人は大人で大変なんだ。
私が心配かけるわけにはいかない。

お腹が痛い、頭が痛い、歯が痛い。

そんな事すら、言葉にするのをためらった。

そして平気なふりをしていたら、何が平気で、何がか平気じゃないか分からないまま、大人になってしまった。

私より大変な家庭はきっと沢山ある。
だから寂しいとか、そんな甘ったれたことを言ってはいけない。
いつもそう思っていた。

…胃もたれのする話は、このくらいにして話を戻そう。

そういう声をかけられる時は、隙がある時だと、どこかで聞いたことがある。

隙が何なのか分からない。

でも1人の行動が多い分、自分なりにいつも気をつけていた。

繁華街では知らないグループに紛れるように歩き、極力暗い道を避け、少し早足で背筋を伸ばし真っ直ぐ歩いた。

自意識過剰ですねw
そんな事せずとも誰も声をかけませんよw
そう笑われても構わない。

本当にそう思う。
むしろ私が一番そう思っている。

ただ、私はそうすると決めている。
自分のためにも、相手のためにも。

その日も、そうしていたはずなのに。

このところ、とても忙しかった。

母が11月上旬に道で転倒し、救急車で運ばれた。

頭を打たなかった事は不幸中の幸いだったが、骨盤を骨折し、今はまだ歩くことはおろか、座ることさえ出来ない。

手術をしないと長引くと言われたが、結局身体の負担が大きいと判断され、手術は断念、いまだに入院しており、退院の目処は立っていない。

様々な手続きと、足が良くない父親のフォロー、おまけに仕事が山積みときている。

インフルエンザやコロナが流行り、小さな子を持つ同僚は総崩れだ。

増え続ける仕事に、笑うしかなかった。

誰も悪くない。
ケガや病気に、なりたくてなる人はいないのだから。

頑張れる人が、頑張ればいい。

それに忙しいと言いながら、私は何かを我慢することなく、至って普通に、楽しく生活出来ているじゃないか。

こういう時の為に、なるべく不摂生せず、気を病まず、明るく朗らかに生きてる。

大丈夫。
心配ない。

大丈夫。

そう思っていた。

でも、声を掛けられた時は、全ての気持ちが緩んでいたように思う。

信号待ちの時くらい、気を張らず、ボンヤリしたかった。

放送対局で見た、いくつかの悲しい出来事を思い出していた。

プロの麻雀は勇気や力をくれる。
でも反面、その残酷さに時々目を背けたくなる。

画面の向こう側で、心血注いで積み上げてきたものが、たった1牌の後先で泡と消えていく。

一生懸命やったところで、何も報われやしないじゃないか。

勝ち負けの重さに耐えられず、ネガティブな気持ちが溢れ、視界が霞んでいた。

そんな時、声をかけられたのだった。

男性は、すみませんでした、とだけ言うとその場を離れた。

私は何となくその男性が去った方を振り返った。

『…あれ…?』

その男性の姿がなかった。

人混みだったけど、振り返ったのはほんの数秒後で、見失う事の方が難しいように思えた。

さらに不思議なことに、スーツ姿の男性だったこと以外、全くどんな人だったか思い出せない。

顔は確かに見たし、大体の年齢も予測できた。

でもどんな人だったか、思い出せなかった。

信号が青に変わり歩き出した。

私は何となく笑ってしまった。

『神様もナンパをするのかな』

いつでも迷ったり、自分が疲れていることすら気が付かない時に、こうしてシグナルを送ってくれる。

信号待ちをしていたら 
声をかけられました

たったそれだけのこと。
珍しくも何ともない。

でも私の中で合点がいった。

私はヘトヘトに疲れている。
そして、泣きたいくらい悲しいのだ。

余裕が無さすぎて、余裕がないことに気づけず、オーバーヒート寸前だった。

感情に鈍い私。
声をかけられなければ、きっと気づけなかった。
気づかせてくれて、ありがとう。

家族のことも、仕事の事も、出来ることを出来る範囲で頑張ればいい。
人の分まで背負い込めるほど、私は強くない。
それを忘れなさんな。

そして麻雀は残酷で、無慈悲だ。
報われないことの方が圧倒的に多い。

でも積み上げてきたものが泡と消えてしまうわけではない。

努力したこと、歯を食いしばって頑張れた記憶は、未来を支えるしっかりとした土台になる。

これは綺麗事じゃない。

事実だ。

自分の中の暗く冷たかった部分が、赤味を帯びていくのを感じた。

するとお腹がグーと鳴った。
そういえば、お昼から何も食べてない。

『ひとりでご飯食べるのは寂しいから、立ち食い蕎麦、一杯付き合ってもらえませんか?』

今そう聞かれたら、OKしちゃうね(笑)

そんな帰り道。

よーし、今日も明日もあさっても。

出来る範囲で頑張ろう。

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クリスマスイブに『ブックサンタ』というチャリティーに初めて参加しました。

加盟店に行き、自分で選んで購入した本が、様々な事情で大変な境遇にいる子供達に届くというもの。

とても簡単なシステムで、参加しやすかったです。

詳細を見ると、小学校低学年向けの本のプレゼントが不足しているとのこと。

どんな子に届くのか、どんな本が好きなのかも分かりません。

だから私は、あの頃の自分にあげたい本を選びました。

私は今まで、沢山の本に助けてもらいました。

この本が誰かのそれになれたら、私はとても嬉しい。
そう思いながら本を抱き、レジに向かいました。

ポストも同じ気持ちです。

誰かが喜んでくれたら、それで嬉しい。

何が正解か、多分ずっと分からない。
でも自分の欲求を満たすだけの善意にならないように。
そして相手を大切に思う心だけは忘れないように。

これからも心を込めて応援していこう。

自戒のような長いお話に、最後までつきあってくれてありがとう☺️🍀

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