度量衡に想いをはせる!

今日はひさびさに背脂たっぷりとんこつラーメンのような重量級の話題を取り上げたいと思う。日本人なら誰でも一度は感じたであろう度量衡とか単位・呼び方問題である。なぜ重量級かと言うと、これはもうグレゴリオ暦みたいなもので、なかなか変えられないものだからだ。
まずはあの19世紀とか20世紀という世紀の呼び方だ。1800年代が19世紀で、1900年代が20世紀というあれである。
あれは1800年代が18世紀で、1900年代が19世紀だったら漢字思考のジャパニーズ的にはもっとよかったと思う。キリストの誕生日から数えての西欧の風習を漢字に置き替えているので、少し変換が必要なのだ。
もうひとつ、金額を表記する時に、3桁の左側に「,」を入れるのも完全に西欧風で日本人の漢数字思考回路とちょっと違う。
慣れもあると思うのだが、10万円を表記する時に、3桁区切りの100,000よりも4桁区切りの10,0000の方が「なるほど。1万円が10個ね。」と直感的にわかる気がする。日本人の場合は。
あの3桁区切りというのは英会話で習うナンチャラthousandという数え方をずっと昔から、生まれた時からしている西欧人だから直感的にすぐできるのであって、数百年漢数字で計算していたジャパニーズにはなかなかなじまないのだ。
あと不動産物件情報に関しては、平米と坪というこれまた日常使わない呼称が出てくる。何畳というのはいい。あれがあって本当によかった。畳なら昭和の人間なら8畳ぐらいまでならすぐ直感的にイメージできる。でも昭和の人間でも15畳越えると少しイメージしにくくなる。ヤングな人の場合、畳を見たことがない人もいるだろうから、何畳というのも今となってはわかりにくいのでは。あと平米の方は、自分の場合、「6畳というと9平方メートル後半ぐらいだから、18平米は6畳部屋2つ分ぐらいなんだな」と少し分解しないとすぐわからない。こういう話しになると坪と畳と平米の対応計算表というのがあるので見たりするのだが、そもそもどれか1個に統一されていたら楽だろうなぁと思う。
統一するのでなければ、オイラの場合だと「ソロ楽器とピアノ伴奏だけのリハーサルならギリギリできるぐらい」とか「ピアノトリオでフロントに3人いける」とかだと超イメージしやすかったりするので、案外「サザエさん1家がご飯食べてるとこ」とか「カラオケで6人入れる部屋」とかイメージしやすい表現を取り入れるのもよいかと思う。
度量衡統一問題で超有名なのは、西欧人のおもにアングロサクソン系が用いているヤード・ポンド法である。インチ、フィート、ヤード、マイルというあれである。
あれはあれで風情があっていいと思う。日本で言うと1里とか1間とか1丈を現代でもメートルを使わずそのまま使っているということだ。キロメートルと言わずに「今日は2里マラソンしたよ~」とかそういう感じだ。
度量衡というのは単位をあらわすだけでなく、その世界の構成や世界観をかたちづくってもいる。ヤード・ポンド法は別に日本では全然取り入れられてないんだけども、インチだけはモニター画面や自転車や太鼓の世界でなぜか世界を確立している。あれはもう「長さがわかる」という話しではなくて、インチを加算する、という世界観を元に製造しているインチの国なのだ。
そういう意味ではフィートとかヤードもスポーツ特有で、フィートとかヤードの国という感じがする。
「~メートル飛んだ」というのと「~ヤード飛んだ」と言うのでは何か飛び方も違うような気がする。
日本は明治維新の時に、江戸時代までの度量衡の情趣は無くなったのかと思うのだが、お酒やお米みたいにガチ日本の情緒みたいなところにはやはり残っている。
アメリカのヤード・ポンド法と日本のお酒お米を見ると、やはり度量衡は世界の共通語というよりは、情趣のために存在し続けるのかなと思う。
ヤード・ポンド法に唯一と言っていいぐらい触れ合うのがハリウッド映画。「あそこまでは~マイルもあるんだぜ」という時、日本語字幕ではもちろん300kmとか表示されたりするのだが、そういう時はネイティブならではのマイル感との距離を感じて少し共感できない寂しさもある。
というようにヤード・ポンド法は独自の世界を築いているのだが、東北アジア圏にしかない、物の数を数えるときに全部数詞が変わるという、外国の日本語学習者から見たら発狂しそうになるあの現象を見ると、アメリカのヤード・ポンド法のオリジナルっぷりなんていうのはまだまだスイートな方なのかもしれない。

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