レイ・カーツワイル思想プチ紹介。

昨日量子テレポーテーションの話しにからめて、レイ・カーツワイル教のユル信者だと書いたのだけども、ガチ信者と言ってしまうとヤバイ感じなのがこのレイ・カーツワイル教祖様だ。
宗教では、新興宗教というものがあって(一般的、学術的には「新宗教」という方が正しいらしい)旧宗教に対して新しいという感じで使われるのだけど、実はリアルに新らしいタイプの宗教は少なくて、新興宗教、新宗教と言われるもののほとんが旧宗教のスタイルをリアレンジしたものが多い。
教祖がスパークして、超自然的世界と交信し、弟子がその言葉を文字に起こしてなおかつ、その周囲の人間が教祖を教祖たらしめ、体系を築きあげる。
という新宗教とは言ってもわりとオーソドックスで伝統的なものが多い。
そういう意味ではダーウィンの説とか、ほっとくといい感じになるという資本主義における神の見えざる手、とかマルクス主義、とかの方が「新しい」かたちの宗教という名にふさわしいように思えてくる。
そういう意味でダントツ新しくてすごそうでヤバそうなのがこのレイ・カーツワイル教祖のシンギュラリティ(技術的特異点)を中心とする説。
ひさしくなかった山師的宗教感と宗教の持つきわどい芳香がプンプンして賛成論者も否定論者も取りあえず、こりゃすげえな、となるのである。
このレイ・カーツワイル、単なる山師的マッドサイエンティストではない。数多くの突出した発明で賞を次々と受賞。一般的な世界でも天才科学者として高い評価を得ている。またわれわれにはなじみのあるあのシンセサイザーのkurzweil社の創業者・名シンセサイザー発明者でもあるのだ。
また機械学習と言語処理でGoogle社にも入社。これは何回か検索するとキーワードを記憶してその人の好みが出てくるあれだ。あれは人口知能の一種で、今はあれの発展版でパソコンの前の動物をパソコンが識別できるところまできているらしい。
そして今やレイ・カーツワイルと言えば、天才科学者・発明家を超越して技術進化を軸にした独自の宇宙観をさわやかに布教しようとしている人としても有名なのだ。
というわけでよくわかってないのにおこがましいが、少しだけレイ・カーツワイル教祖の教えを紹介したいと思う。
まず出てくるのがシンギュラリティ(技術的特異点)
これはテクノロジーの進歩は去年より今年は2倍進歩したね~、みたいなのどかなものではなく、指数関数的に進歩するという説で、Appleの新商品の発売ペースやその発売ごとのスペックの上がるペース、エニアックから現在のパソコンへの進化のスピードから抽出されたもの。技術の進歩は何倍、何倍というスピードではなくて、何乗、何乗というペースだということらしい。
それでその技術の進歩が沸点のようなところに達するのが2045年ぐらいであるというシンギュラリティ(技術的特異点)論が出てくる。
その頃にコンピューターは人類全部の知能を集めた以上の知能を得る、そしてそれは単なる計算力の集積が高まるという量的のものではなく、生命のようなものの誕生、という質的変化をもたらすというものだ。これはSFでかなり前からあつかわれていたものだけれどもこれが現実のものになる、それも2045年頃にそうなる、と教祖様はおっしゃるのだ。
たしかに知能だけで言うと現在でもすでに1瞬で何京?計算するとか、すでに人間が到達できない領域にコンピューターは入っているので可能性としてなくはないのか?
もうひとつの重要な論点はナノテクノロジーの劇的進化。これもすごい。分子だか量子だかの細かさにコンピューター何百台もの知能をチップ化することができるというもの。これで赤血球とかに知能を入れることが可能。細胞を破壊する要素を見つけ出し考えながら攻撃してくれるというものだ。こちらもけっこう研究がすすんでいるらしい。
このように赤血球レベルの細かさで知能が働くようになると今まで不治の病とされていた病はもちろん治るし、不老不死というこれまた香ばしいキーワードが出てくるのだ。
赤血球レベルの細かさにコンピューターが搭載されればもちろん脳に働きかけることも可能。攻殻機動隊ではガッチャン!という感じで外部のクラウドと接続するが(外部型と言ってこれも実際に研究されているらしい)そんなことをしなくても赤血球内のコンピューターで外部クラウドとWifiみたいな無線で通信可能。物理的なノリでテレパシーなども可能になるわけだ。
ところが、このナノテクノロジー、シンギュラリティなんてまだ序の口、この先の宇宙観の展開がカーツワイル教祖の教えの宗教っぽさ全開のところである。
進化したコンピューターにはわれわれの感覚でいうところの無限大に近い情報がクラウド共有されることになる。もちろん「心」とか「精神」とかいわれている部分や「自分を自分と認識する感覚」、「自分を形成する記憶」なども現在の人間と同じように持つことが可能だ。そうするとヴァーチャルリアリティーと言われていたものは限りなく本物に近くなる、というか本物そのものとなる。そうするとコンピューターのクラウドの世界の中で自分という感覚をしっかりと持った情報体として、永遠に生き続けるということが可能。この辺まで来てしまえば、他者との区別もかなりあいまいだろう。そしてさらに宇宙に偏在した状態になった情報体はまた新たな宇宙を
創造する。つまり神の誕生と新しい宇宙の誕生だ。おそらく精神世界での宇宙との合一、とか物理学での宇宙創造論などをテクノロジーの進化とともに理論的に物資的に論じているのだ。
ここまでのことをわりとさわやかに繰り返しまったく疑念なく信念を持ってアピールし続けているのがカーツワイル教祖様。まさに宗教である。
このカーツワイルの論に対して「んなことあるわけねーだろ!!」という人が大半らしい。でもカーツワイルさん自身はそのような反論には慣れっこらしく「でもこれこれこーなんだよ」と逆に説法してまわっているので。さすがである。
下記に紹介する本の著者もカーツワイルの発想のすばらしさを賞賛はしているが、テクノロジーの進化には莫大な予算がかかるので、世界的に不況な現在の状況では実際に人口知能から生命体が生まれるようなシンギュラリティはおこらない、とか生命体が生まれたらSFみたいに機械に人間が滅ぼされる危険性がある、とか色々な否定的指摘をしている。ただナノテクノロジーに関しては多方面から研究がすすんでおり、このまま進歩を続けると賛同を受けている。
というように色々な面から否定されまくっているのだが、その否定要因にはたしかにそうだよな、と思う大きな側面がある。それは「たとえ技術の進歩に成功したとしても倫理が追いつかない」というものだ。
たしかに魂をコンピューターにインストールしたり、不老不死が実際におこなわれる段になると生命倫理や宗教倫理に大きな問いかけをすることになる。
そこに納得できる共有点を見出すにはかなりの時間がかかるのではないか。
それはたしかにそうだなと思う。
ぶっちゃけカーツワイルの論は倫理的にぶっとびすぎちゃってて相手にされていない、という状況ではある。
技術の進化は善なのか?悪なのか?これはまた一概にはくくれない深すぎるテーマなのだ。オイラ的にはカーツワイル教祖の教えは、まず原発や資本主義VS自然回帰みたいな2元論対立に、いささか飛躍しすぎているとはいえ、新たな視点をもたらしてくれるのが新鮮だと思う。これはオイラがよく言っている資本主義vs反資本主義という捉え方だけでなく、ラテン系という座標軸を持ち込むことによってまた新たな視点が投入されるという感じに近い。
あとこのような話しを、倫理的には問題あるかもしれないが、SF小説ではなく、マジで熱く語る人を見てロマンはやはり大事だなぁと単純に刺激を受けてしみじみした気分にもなったのだ。

ということで、レイ・カーツワイル教の教典とも言えるのがこちら。アメリカでは大ヒットしたらしい。オイラも買ったんだけど、分厚すぎてまだ読んでない。
『ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき』 レイ・カーツワイル
http://p.tl/F7RL

レイ・カーツワイルを最初に知った本。著者は冷静で批判的だが、宇宙論の話しもわかりやすく書いてあってよい。新書なのもとっつきやすい。
『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』 松田 卓也
http://p.tl/fYsA

NHKの特集番組を本にしたブックレット。これはちょっと物足りなさすぎるけど、さっと読みたい人にはおすすめ。ちょっぴり批判的なインタビュアーによるレイ・カーツワイルのインタビュー集。思想の要点がまとめられていてわかりやすい。
『レイ・カーツワイル加速するテクノロジー』 徳田秀幸 
http://p.tl/_6za

レイ・カーツワイルが熱く語るTEDの動画もあるよ。
http://www.ted.com/talks/lang/ja/ray_kurzweil_on_how_technology_will_transform_us.html

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