「千住の1010人」演奏会のおもいでぽろぽろ

台風が土砂くずれなどの傷跡を残すかのように、千住の1010人の演奏会も、関わった多くの人に痕跡や影響を残したようだ。
もちろん傷跡というようなものではなく、いい方の、感動というかたちの影響である。
それはどちらかというとはじまりの合図のようなもので、このイベントによって新たな回路が色々な人の中で、色々なところで開いたという感じがする。

ガムラン演奏経験5年以上
演奏や凧揚げや会場下見で足立市場を訪れた回数5回以上
1000人での野外演奏経験1回
音まちイベント経験3年以上
野村誠歴15年以上

というこの演奏会に関しては「超」がつくほどのエリートと言えるオイラでも当日はやはりガムランの演奏で一生懸命で、朝足立市場に到着して、気がついたら打ち上げ会場にいたという感じであった。
それほど充実していた感覚に包まれていたということなのだろうが、その演奏会の嵐からも2日たち、少し味わいみたいなものというか、いくつもの交錯する熱い思いというか、オイラなりの「おもいでぽろぽろ」が浮上してきたのである。

まずオイラが奥さんと初めて出会ったのが2010年10月大阪千里中央の万博記念公園、太陽の塔の前でおこなわれた「1000人で音楽をする日」という演奏会でだった。
1000人ものでは有名な楽曲、フィリピンの作曲家ホセ・マセダの「ウドロウドロ」を会場いっぱいの人と一緒に櫓の上の指揮者の指示によって竹や木で演奏したのだった。
その後、秋の夕暮れの万博記念公園の中で今回の千住の1010人でも重要な役割を担っていた佐久間新さん、そして大阪のアートシーンのキーマン小島剛さん、奥さんとたこ焼きを食べながら打ち上げしたのはかなり不思議な、癒されるようないい思い出としてはっきり覚えている。
この時も10月で1000人、今回も10月で1010人、そして両方に佐久間新さんがいるというこれにはシンクロニシティ的な縁を感じた。

そしてガムランだが、オイラは大学のガムラン部を出た後、ランバンサリというグループに所属、地方公演や大きなワヤンの公演などにも参加する他、他にも森重さんのスンダ島のガムラングループで青山こどもの城などでも公演もおこなっていた。今はインドネシアに在住しているガムランの師匠芹澤薫さんにはとてもお世話になっていて、今でもそうかもしれないが、ガムラングループは人手が不足していて、特に指揮者役である太鼓奏者は少なく、インドネシアに留学して太鼓奏者になってほしい、と何度も本気で言われ、一時期オイラとしてもインドネシアで太鼓を勉強しつつピアノを練習できるのだろうかと本気で考えた時期もあったのだが、すでに固定のピアノ演奏の仕事を多くの人の関わりの中でしていたので、その話しはそのままに、ふんわりとガムランをやらなくなってしまったのだ。芹澤師匠への恩のことを考えると、今でもやはりそのことが心をよぎることがある。

そして当日トンボになって会場に来ていたり、こひやまさんに憑依していたらしい?(たしかに打ち上げのこひやまさんはいつもより声がでかかった気がする)縁日の時はあの屋台にいた、杉ちゃんと触れ合えたこともうれしかった。
パリにいてお見送りには参加できなかったけど、たまたま、上野の明順寺というところの彼岸会での朗読イベントに参加することで彼岸会法要にも参加することができたし、柳原の神輿の日もスケジュールが空いていて担ぐことができたし、今回一緒に演奏することもできたし、なんとなくホッとした。人一倍設営も撤収もやらなきゃ気がすまない杉ちゃんのことだから、色々と手伝いにきてくれてたのだろう。感謝である。

あと恩師であり、先輩であり、共演者でもある伊左治さんとガムランを一緒に演奏できたのも感動だった。
オイラと伊左治さんが共同リーダー共同ピアノで立ち上げたオールスターバンド「名湯無尽楽団」は、その後伊左治さんがジャック・タチの映画音楽集のCDをつくるきっかけともなったし、伊左治さんのいくつかの作品の演奏者がそのバンドから出ているし、オイラもその後のオイラリーダーのブラジル音楽バンドをつくる時のやり方みたいなものをそのバンドでつくりあげることができた。
伊左治さんの作品の初演を演奏させていただいたり、美しいピアノ曲を弾くたびにこの人の作品世界はすばらしいと思うのだが、その人を野村誠の、千住の、演奏会で一緒にガムランを演奏するとはまさに音のつむぐ縁である。
そして今現在チャーリー高橋とオイラとのトリオでヴォーカルをしているヴォーカリスト新美桂子や藤井くんもガムラン部で、一緒に演奏できたのがとてもうれしい。
そしていつもすばらしい刺激をくれる安野太郎にも会えて色々作品の話しを聞けてうれしかった。ゾンビ音楽がリード楽器にまで拡張されるらしく楽しみである。

そして凧だ。
当日揚がったのも一番最初オイラが成田の凧専門店ウッディキャビンでいくつかある凧からチョイスしてきた大型凧。
いつも河原でお世話になっている足立凧の会の武田さんが野村誠の演奏会で揚げてくれてうれしかった。
同じく足立市場で開かれた大友良英さん縁日の時には風が強すぎて、伊原、河島、廣野の操る凧が風で吹き飛ばされてしまったというほろ苦い思い出もガムランを演奏しながら思い出す。
1010人の日は、ちょっとだけの風ですぐ降ろしやすく、曲の中の1シーンとして揚げるには最適の風具合だった。

え〜と、という風に書いているとキリがないし、まこちゃん(野村誠)にはとにかく今回も大感謝!
まこちゃんへの感謝や恩はどう返していいのかわからないんだけど、まこちゃんとオイラの共通の盟友野村幸弘さんの言う「僕はイタリアでものすごいお世話になったけど、今は日本にいるから直接彼らにその恩を返すことはできない。だけど、芸術フォーラムみたいに色んな人が集まって、色んな人がつながる場を持つことで、彼らに恩を返してるんだ」という論でいくと、オイラがオイラのまわりの人やさらに若い人達にまこちゃんに教えてもらっている色々なかたちでの「自由」みたいなものをしっかりひろげていくことが恩を返していくことなのかなぁと思う。
猪木教祖の闘魂伝承みたいな感じで。
あとまこちゃんの奥さんやぶちゃんとゆっくり話せたのも収穫だった。
やぶちゃんもしっかりとしたビジョンと目標を持って活動しているようでワクワクする話しが聞けた。

感謝と恩というと、北千住音まち関連のどの人までしていいかわからないぐらいの多くの人が関わっているし、深く考えてさかのぼると、それこそ今までの歴史上の人全部に感謝するみたいになってしまうのだが、音楽を演奏するというのはもともとそういう行為だと思う。

話しを元にもどすと、このイベントによって新たな回路が色々な人の中で、色々なところで開いたという感じがして、それはとてもすばらしいことなのである。

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