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その香りにいつも何かを結ばれたり心をほどかれてたりしている

3月下旬、ペーパードライバーから5年ぶりに運転に挑戦した結果、実家から2時間ほどかけて薪火野さんに辿り着くことができた。

だからといってこの事実が運転をお任せできることかと言われるとそうではないので要注意。初心者マークを左右前後につけていたい気持ちである。

さて、薪火野さんへ訪れる回数も気づけば忘れるほどによほどお邪魔させていただいている。

薪火野さんこと中山大輔さんは日々、兵庫県丹波篠山で薪窯を使ってパンを焼いている。そして、焼き上がるパンはいつも彼のようにエネルギーに満ちている。

これはあくまで私個人からみた大輔さんについてだが、彼はいつもにこにこ笑顔が絶えない。パンの生地を捏ねている間もその手を動かしながら口も動かして楽しいお話を聞かせてくださる。薪窯の温度の様子を確認するときもリラックスしていて穏やかだ。

しかし、そんな彼が口を閉ざす時がある。それはパンを焼く瞬間。薪窯が適切な温度になったら順番にパンを薪窯へと入れていくのだが、この時、彼の集中力の全てがパンへと注がれている。型にとっておいたパン生地にクープを入れたら素早い手つきでそれを窯へと入れ込む。その工程を数回繰り返していく。

パン生地を薪窯へ入れる工程自体は大胆だ。しかし、そこには繊細な緊張感があるようにいつも私には感じられる。パンを捏ねている最中もそうなのだが、彼がパンを焼く時は何かに祈っているかような眼差しなのだ。

人の手で捏ねられた生地がひとつひとつそれぞれの分量に分けられ、そして薪窯へと導かれていく。そこには確かに大輔さんの想いがある。しかし、それを言葉にするにはもう少し先にとっておきたいとも思う。

薪火野さんのパンには素朴なエネルギーがつまっていて、思わず大切な人と一緒に味わいたくなる。優しい香り、そしてハードパンという存在感。自分の身体の一部になるものは人の温度や想いが感じられるものが良いと思っていた私にとって、薪火野さんのパンはいつもその気持ちに寄り添ってくれる。

そしてそんな薪火野さんのもとで現在、研修生としてパンを学ぶ方がいる。

まなみさん。彼女もとても楽しくパンを捏ねる方だ。初めてお会いした時にカルダモンロールを作ってくれたのだが、心もお腹も満たされるような美味しさだった。

カルダモンロールは、薪火野さんのパンが焼き上がった後の薪窯の余熱でじんわり焼かれたもの。ゆっくりとパンの呼吸が聞こえるような気がする。

小麦のように、ただそこにある自然たちの恵みの中で、大輔さんやまなみさんのような方の温度のある手が添えられるだけで、そのパンは生きている心地がするし、誰かのもとへ届けばその人の物語は優しい香りで包まれる。

大輔さんやまなみさんは今日はどのようなパンを焼いているだろうか。共に薪窯のような熱い心とふんわり焼けたパンのような心地よさでそこにいるのかもしれない。

そういえば私はパン作りの光景を目にはしているものの知識は素人並みである。もしくは常識的な知識もわりと持ち得ていない。クープの意味すら知らなかった。そんな中で、クープ入れをする意味を尋ねた時、大輔さんが「パンに煙突を作るんだよ」と仰っていたことが心に残っている。

パンの煙突。その煙突があるからサンタさんが贈り物を届けるみたいにパンにも心地よさが贈られているのかもしれない。

明日も光の中で美味しいパンが焼き上がりますように。

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