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受験生による、評論文への、反撃

浪人生です!受験生です!げんきいっぱいです!

すいへーりーべーぼくのふね
常夏のひとさし指で弾けそろばん

短歌は作るのですがnoteに載せたり、管理するのが面倒なので作って
そのままどこかへ消えていくものが多いです。

本題からはずれるんだけどせっかくだから最近作ったやつ載せたいです、

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「今日は日が長いからね」と言ったのがなんでもないけど胸に残った

簡単でいいから思想を伝えたい あの星へ行くへべれけの犬

大人になんか“なりなくない”から“なりたい”に変えた少女よ酒を眺めり

愛包み愛に包まれ包んであげる 死のうとしてるおじさんが好き

すいへーりーべーぼくのふね 常夏のひとさし指で弾けそろばん

飛びかけた麦わら帽子を傾けて少女は跳ねる春をからめて

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手紙魔まみ夏の引越しうさぎ連れ、面白かったなぁ

本題

しばしば我々受験生は、難解な評論文と対峙することとなる。
それは言葉単体での難しさや文章の繋がりが読めないことによって
生じるのが主なケース。このようにして、共通テストで点を落とし
筑波大学に落ちた俺みたいな人が生まれるわけだ。えっへん

そのような事が起きないようにも文章を読む訓練を強いられているのだ。
訓練とは、評論の問題を解いて、先生が後で解説してくれるといったもの。
先生の解説は分かりやすく著者の主張を客観的に理解できる。

ここで2つの事実が生じる。
1つ目は内容自体は理解できないものではないということ。
数学における、宇宙際タイヒュミラー理論(言いたいだけ)や、リーマン予想(言いたいだけ)、非常に豊富な可逆層(言いたいだけ)の、類ではないということだ。
決して我々の脳が処理に追いつかない訳では無い。

2つ目は他にも言葉があるということ。
脳の処理が追いつかないのではなく、処理するためのデータ(文章)がクリアーで
ない事が原因で理解できないのだが、クリアーでないのは最初にも述べたよう
言葉単体での難しさや文章の繋がりである。
しかし我々受験生は先生の言葉を通してなら理解できる。
つまり著者が言いたいことは言い回しや図によって理解しやすいものになる。

著者はなんのために社会をメタ的に捉え、批評し、文字に起こしたのだろう。
無論、伝えるためである。
言葉とは自分が思っていることを相手に伝えるアイテムなのだから。
だから僕は、当人が考えたことをわざわざ小難しい言葉、文章にする姿勢にいささか疑問である。なんのために作ったのか。
だから僕は難解な評論とは、著者の言葉選びの怠慢によって生じた負の遺産であると
ここに断言する。訳の分からないことを言うのは詩人で十分。間に合ってます!👋

あくまで一個人の意見なのでご理解ください、反論のある方はぜひどうぞ、
色んな意見聞きたいです。

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