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パチ屋の交友が いとも簡単に崩れ去る理由(その3)

まだ20代だった私は彼女と出会った時、自らの名刺を手渡した。それは人助けをしたいという思いと同時に、この人なら身元を明かしても大丈夫という勝手な思い込みからだ。決して、ふしだらな気持ちからそうしたわけではない。

だが今よく考えてみると、彼女は自分の電話番号しか告げなかった。つまり、私は彼女を信用したものの、彼女は私のことを信用していなかったのである。

先の記事で書いたが、「素性を明かさないのは、相手を信用していない」からである。若く未熟だった私は、そういった簡単な大人のルールさえ知らなかったのである。

若くほろ苦い失敗

当時、今ほど個人情報についてうるさい時代ではなかった。だから、車のナンバーさえわかれば、陸運事務所に行って車の所有者を知ることなど容易いことだった。

登録情報の閲覧には、閲覧者の身元情報と閲覧理由があれば事足りた。私は自分の免許証と「査定」という閲覧理由を差し出し、頭の中にしまってあった彼女の車のナンバーを元にいとも簡単に住所を突き止めたのである。

そして私は「良い知らせ」を持って、意気揚々と彼女の住処へと向かった。2階建ての小さなアパートの1室には、小さく細い字で私の知る名字と名前が書かれてあった。彼女が話していたように、同居していたのは小学校低学年の女の子だったのだろう。小さいピンク色の傘が出窓の金具に、可愛らしく吊り下げてあった。

あの時私はためらうこともなく、インターホンのスイッチを押した。「どなたですか?」という声の主は紛れもなく彼女だった。私は小躍りしてインターホン越しに自分の名前を告げ、「仕事見つかりましたよ!」と叫んだのだった。

人生を変えたFAX

もうここまで書けば、あなたは容易にその後どうなったか想像できることだろう。理由も告げずに、ただ「帰ってください!」と一方的に言われ、すごすごと会社に引き返した私を待っていたのはとんでもない代物だった。

私は帰社するなり上司にすぐ呼び出され、2枚の紙きれを手渡された。そしてひとこと、「読んでみろや」と言われた。それは今しがた受信したばかりのFAX用紙だった。

FAXには、あの玄関ドアと同じく小さな文字で文章が書き連ねてあった。送信者が誰かすぐに察した私は、貪るように読み始めた。そこに書かれてあったのは、私への感謝やねぎらいの言葉ではなかった。

私への不信感、自らの不安、そして突然の訪問を責める言葉で、紙面はビッシリと埋め尽くされていた。読み終えた私に対し上司は、ふうと一つため息をつき「これからは気をつけることやな」とだけ言って立ち去った。

私はその場に呆然と立ち尽くし、この一件で自分がどういった過ちを犯してしまったのか理解した。そして、行方知れずになったり連絡が取れなくなったりした人には、それなりの理由が存在し、決してそれを詮索してはならないということを学んだのである。

あのFAXは私の人生を大きく変えた。(続く)


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