パチ屋離れは ギャンブル離れなのか?
パチンコ店の倒産が止まらない。SAGSの掲示板でもちょくちょく話題になっているが、「パチンコ店の閉店速報」というサイトまであり、毎日閉店したパチ屋の情報を更新している。
そういったサイトで、全国のパチ屋が減っていく様子が手に取るように分かる。私も覗いてみたが、大阪では知っていたパチンコ店が3軒閉店していた。
だが、パチンコの店舗数が減ってはいるものの、設置台数が減り始めたのは2年前くらいからである。このあたりは、パチ屋の淘汰と大規模店舗化が影響していると思われる。
とはいえ、コロナ禍でパチ・スロの遊戯人口が減ったのは間違いない。まだ手元にちゃんとした資料はないが、おそらく実態が明らかになった暁にはかなりの減少が白日の下になることだろう。
このような光景が近い将来、夢物語になる可能性は高い。
ウハウハ状態の公営ギャンブル
そんなパチンコ不況の中で活気づいているギャンブルが存在する。それが公営ギャンブルである。
この記事によると、コロナ禍の影響で閉鎖に追い込まれようとしていたレース場まで復活している。
こうなってしまった背景にあるのは、公営ギャンブルのオンライン投票システムだ。昔のように場外で並んで投票券を買ったり競馬新聞と赤鉛筆を持ったおっちゃんが群れたりするのなら、逆に密と言われ規制の対象になっていた可能性が高い。
ひょっとしたら、デジタル化の恩恵を一番受けているのは公営ギャンブル業界かもしれないのである。ところがどっこい、カジノに関してはそう上手くいかなかった。なぜか?
今現在、日本ではIRについての渇望論が失せてしまった。というよりも、推進派だって大きな声で誘致と言いにくい世の中になった。なぜなら、このコロナ禍でインバウンドの期待が消し飛んだからである。
しかも一番の上客である中国は、もっかマネーロンダリング排除と腐敗防止でカジノに消極的であり、国際的にもカジノは斜陽産業として定着してしまった。今後、欧米諸国と中国との間に、一層深刻な政治的・経済的摩擦が生じる可能性も高い。そうなれば日本にとってIR誘致など、「度が過ぎた悪い冗談」になってしまうことだろう。
今後 パチに代わる賭博は
パチンコの一人負け、公営ギャンブルの一人勝ち、カジノの切り捨てムードの中で、今少しずつ人気を博しつつあるギャンブルが存在する。それがスポーツギャンブル(スポーツベッティング)である。
スポーツギャンブルとは、スポーツはもちろん様々なレースに賭けることを指す。年配の方なら、以前に職場で高校野球の社内トトカルチョをやったという経験をお持ちかもしれない。あれや、サッカーくじの延長線上のギャンブルと考えればよい。
カジノ絶望論さえ出てきた中で、スポーツギャンブルはひそかに広まりつつあるギャンブルである。日本国内で公式にこれを合法化しようという動きさえある。しかもコロナの影響により、無観客で開催されるスポーツイベントが増えた。そういったスポーツを、これまでになかった方法で支援しようという動きも出てきた。
日本版 スポーツベッティング 可能性と必要性(IAG JAPANより)
パチ屋は麻雀に続くのか
以前に私は、マージャンが廃れた理由という記事を書いた。この記事の中で私は、「教える人がいなくなることでマージャンは廃れた」とお話しさせていただいた。そして、パチンコ・スロットが廃れる可能性という記事では、「タバコや麻雀のように、今後『教える人』が少なくなれば、おそらくだがパチンコとスロットもますます衰退していく」と予見した。2年と少し前の記事だが、コロナ禍で一層この動きに拍車がかかったように感じる。
このようにギャンブルにの類によっては、栄枯衰退が存在する。しかしながらこの世からギャンブルその物が無くなることについて、私は懐疑的である。なぜなら、賭けること自体が人間の経済活動と深く結びついている行為だからである。
よく、「賭博は人間の本能」というふうにいわれるが、私は賭博が人間の経済活動から誕生したと考えている。おそらく、その根源については本能や欲望などという一言で片づけられないのだ。
もしも人間界から賭博が消え失せることがあるとするならば、それはAIやロボットなどの技術革新が今以上に進み、貨幣を必要としない生活が実現するようになってからだろう。
そういった理由から私は、もしもあなたが「パチ屋離れがギャンブル離れになる」という淡い期待をお持ちならば、それはおそらく難しいと言わざるを得ないのである。(奥井 隆)
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