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遠い夏

覚えているかい
あの日のこと

学校帰りに寄った
お寺の藤棚

藤棚の下には そう!
古いブランコがあったよね

座っただけでちよっと軋む
ささくれだった木のブランコ

一緒に座るとき
キミはボクの為に

いつもハンカチを
敷いてくれたっけ

覚えているよ 
あの頃のキミのこと

キミのおさげ髪と一緒に
ボクたちの夏も揺れてた
遠いあの頃…

ボクはこの町に
帰ってきたんだ

でも 
少し恥ずかしげに
ハンカチを敷いてくれる
キミはもういない

ブランコはもう無いけれど
今年も見事に藤が咲いた

こんな日はつかの間に
キミへの思いなんだろうか

藤棚の木漏れ日を
いっそう眩しく感じてしまう

今年も夏がくるんだね…

字を書かないという堕落

最近、字を書かなくなったなぁと我ながら感じる。

その理由だが、メールだのSNSだの使い出したというのが大きい。まあ確かに文字を打つのは上手くなったけれど、字を書くのが一層下手になってしまった。これは、一つの技術が劣ってしまったことに他ならない。堕落である。

そこで考えたのが、「たまには、手紙も書かないとなぁ」ということなのだが、よくよく考えてみると、この歳になれば手紙を書く相手さえ居ないことに気付いた。

友人たちに手紙など書こうものなら、おそらくすぐに電話がかかってきて、「お前、どうしたんだ?」となるだろう。つまりこの私は、今の世の中で手紙を書くことができない年代になっているのである。手紙難民とでもいうべきか。

若い人の特権

そこで考えたのは、自分がこれまでどのような場面で手紙を書いてきたかである。まあ皆さんの想像通りだと思うが、それらの多くがいわゆるラブレターであった。

だが実際のところ、このラブレターというものは書くのに制約がある。何しろ、(通常の場合)相手も自分も独身であるということが最低条件だ。まあ、例外はあると思うがそれは置いといて。

そういったことから考えると、書ける時間というか年代は限られているのである。ラブレターを書くことができるのは、若い人の特権なのだ。

SNS社会だからこそ

恋文のススメなどと書けば、「このオッサン、何をボケたこと言ってるねん!」と突っ込みが来ることは覚悟している。

でもよく考えてみれば、ラブレターを書くことで得られるメリットも多いのではないか。

・字が上手くなる : 私の場合、社会人になってから字が下手だというコンプレックスに悩まされた。特に今の時代は書く機会が減っているから、一層字が上手くなる機会が減っているともいえるだろう。

・文章力がアップする : 正直に書くが、手紙というものは後々その所有権が相手に移るわけだし、かなりの緊張感を持って書かないといけない。私なんざ、「当時、自分が書いた手紙を相手がまだ持っている」と考えただけで、身もだえしたくなる。

そういった性格上、文章もド真剣に書く必要がある。LINEのスタンプ一つで、「スキ」というわけにもいかないだろう。

・インパクトがある : 誰も書かないという時だからこそ、手紙というか恋文は効果が期待できる。貰った相手にとって、インパクトが違うわけである。

ということで、今、時間を持て余している若い方々。案外、恋文を書くってのも、自己研鑽とパートナー探しに効果があると思いますよ。いかがですか?



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