《5/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【ジョゼフィーヌの場合】
前回の話から時計を1年ちょっと戻します。
ナポレオンがポーランドに入る3ヶ月前の、1806年12月。
ジョゼフィーヌはナポレオンと共にマインツ(現在のドイツ)にいました。
かねてより対立していたプロイセンが、再びナポレオンと争う姿勢を見せた為です。
ナポレオンはマインツに入った3日後、再び戦線へ。
ジョゼフィーヌはマインツに留まり2人は離れ離れになります。
しかしこの後10ヶ月も夫に会えなくなるとは、ジョゼフィーヌは考えもしなかったのでした─。
◇
戦場でのナポレオンは負け知らず。
プロイセンを打ち破り、10月末には首都ベルリンに入ります。
(イエナ・アウエルシュタットの戦い)
しかしプロイセン王は東のケーニヒスベルク(現在のロシア・カリーニングラード)へ逃亡、ロシアと手を結んでフランスに報復しようとしていました。
ナポレオンはこれに対抗し、ロシアも一緒に講和のテーブルにつかせてやろうと考えます。
そして、当時プロイセンとロシアがその一部を支配していたポーランドに入ったのです─。
その後は、以前書いた通り。
ナポレオンはポーランド娘のマリアに一目惚れ。
「私は貴女しか見えなかった」
「私の望むものは貴女だけだ」
「早く答えをくれ」
と愛を囁く手紙を送りつけまくり、強引に口説いていました。
一方、ナポレオンがポーランドからマインツのジョゼフィーヌに送った手紙はこれ↓
「テュイルリー宮殿(パリ)に帰りなさい」
「ワルシャワは遠すぎる」
「天気が悪すぎる」
「道が悪すぎる」
「パリが貴女を呼んでいる」
などなど…
ワルシャワにいたナポレオンの元に行きたいと言うジョゼフィーヌに、来てくれるなとピシャリ書き送っています。
ジョゼフィーヌは女の勘で何かを感じていたのでしょう、使いの者が来ても泣いてばかりいたそうです。
しかしナポレオンはそんな彼女に
「泣いてはいけません」
と畳みかけるのでした。
◇
そして春になると、ナポレオンはマリアと共にフィンケンシュタイン城へ移動。
冬のワルシャワとは打って変わって非常に居心地の良い城だった事に加え 美しい愛人もそばにいるとあって、ナポレオンは
「立派なシャトー(城)に本部を構えた」
「暖炉が沢山あって快適だ」
などと浮かれた手紙をジョゼフィーヌに送ります。
◇
この頃ジョゼフィーヌの感情は嫉妬でいっぱいだったらしく、ナポレオンにその気持ちをぶつける手紙を送っていたそうです。
また離れて暮らす子供達に
「皇帝(ナポレオン)の不在が苦しい、耐えられない」
「片頭痛がするので、サン=クルー(パリ郊外)に行くつもりだ。これは愛する人と別れる悲しみのせいなのか」
と書き送っていました。
自分がどんなに不貞を働いても見逃してくれた夫の心変わりを知り、今までにない苦しみを味わったのでしょうね…
◇
翌年、1808年初頭。
マリアは、ナポレオンに呼び寄せられてパリに来ます。
デュロックに連れられてオペラ座を訪れたマリアを、ジョゼフィーヌはオペラグラスでじっと観察するのでした─。
この時、ジョゼフィーヌはマリアの事をどう思っていたのでしょうね。
──
実はマリアのパリ滞在中、ナポレオンは彼女を宮廷に誘ったそう。
ジョゼフィーヌと会う事を避けたかったマリアは これを拒みますが、ジョゼフィーヌは世話役のデュロックに「彼女を最も丁重に迎えるように」と伝えていたとか。
この辺、ジョゼフィーヌの余裕と言うかお人好しぶりが垣間見えますね。
男癖は悪かったですが(笑)
続きます。
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