つくるのはたのしい
ワークショップ、が好きです。
ここで指すワークショップとは、ハンドメイド のイベントでよく行われている
ハンドメイド 体験のワークショップのことです。
しかし、私にモノ作りのセンスがない。アイデア、デザイン、センス、どれも人並み以下。おそらく通信簿でいくと5段階評価で1、取れて2が関の山です。
初めてワークショップに参加したのは成人してからでした。お気に入りの小さな雑貨屋さんに立ち寄った際、たまたま開催していたオーナメント作りに飛び入り参加したのが最初です。
クルミの殻に小さなポンポンをつけて、金のリボンをつけて結び、小さなオーナメントを作るとても簡単なワークショップでした。
クルミの殻にも色、形、大きさ、色々ありますが、人間が小さい証拠でしょう。私はとにかく大きいものを選んでしまいます。
昔話、舌切り雀では、慎ましく小さなつづらを選んだ老夫婦は金銀財宝を手に入れましたが、欲張って1番大きなつづらを選んだ意地悪な老夫婦のつづらは害虫が入っていて大変な結末になります。
大きいものばかり選んでしまう、自分の行く末が我ながら心配です。
オーナメントリースのワークショップも、ポンポンの大きさに対して大きすぎるクルミの殻を選んでしまい、アンバランスな出来栄えになりました。出来はよくありませんでしたが予想していた以上に楽しかったのを覚えています。
他にもクリスマスのリース、天然石のネックレス、アロマスプレー、写真たてなどなど様々なハンドメイド体験ワークショップに参加しました。
ハンドメイド作家さんの作品を買うより、ワークショップで作った方が材料費と指導代のみなので大抵安く上がります。ですが、プロが作ったものの方がセンスも出来栄えも良い。わざわざ自分のセンスのなさをさらけ出すワークショップに参加する意味はないような気もします。
ワークショップの後は、頭の中がすっきりしていて心地よくなります。
旦那に話したところ、頭を使うからではないか?とのことです。それもありますが、作った時のことを思い出す時間もまた良いのです。
妊娠中に参加した写真たてのワークショップは、子供が生まれたら子供の写真を飾ろうと夢を膨らませながら作りました。夢は叶い、お宮参りの写真を入れて飾っていましたが最近子供の魔の手にかかり、ボンドで貼っていた貝殻やリンゴの飾りを毟り取られ、今は無残な姿になっています。
先週は好きなだけボタンを使って写真立てを作るワークショップに参加しました。自宅に着いてさて飾ろうか、と袋から取り出したとき、この暑さで接着剤が溶けてしまい、無残な姿になっていました。慌てて元に戻しましたが、溶けたボンドの後は残ってしまいました。(画像参照)
ただのボタンを100均の写真立てに貼り付けておしゃれな写真たてにしたり、本来ゴミ箱行きだったクルミの殻が可愛いオーナメントになったり、なんでもなかったものが自分の手によって価値あるものに作り変わる瞬間もいいものです。
ワークショップで作ったものには思い出も付加されきらきら光って見えます。
コロナ禍でワークショップの開催自体、随分少ないです。作ったときのことを10年後に思い出して吹き出したりするのかもしれません。
次は何を作ろうかな。
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