ゆで卵といったんもめん

 20年程前、私は面白いことが大好きな田舎の女子高生だった。冬は学校の教室に置いてあるストーブを使っておしるこを作ったり、書道の時間は習字紙を切り抜き、いったんもめんを作ったりしていた。おしるこは友達にふるまい、いったんもめんは教室の窓にセロハンテープで貼り、クラスメイトから「イッタン」の愛称で親しまれた。進学校でないためかあまり勉学にも期待されず、教室の中にはゆるい空気が漂っていた。

 高校2年生の終わり頃、実際に企業へ行き仕事を体験する就業体験学習の期間があった。2週間だか10日だか高校生にしては長い期間で、期間中、私は障がい者の福祉支援施設に行くことになった。

就業体験場所は希望を出すことができたが、私が通っていたのは就職先も少ない田舎の学校で、就業体験を受け入れてくれる職場も極めて少なく、希望を出しても通ることはほぼなかった。希望者がいなかったのか、担任の先生から勧められ、深く考えずに体験場所を決めたのだと思う。周りの友達はほとんど事務職やスーパーが体験場所になっていた。

 決めたときは特に何も思わなかったが、当日はえらいところに来てしまった、みんなと同じような体験場所にすればよかったな、と自分の選択を後悔していた。当たり前だが、学校の授業や教科書には障がいを持つ人とどのように接するかなんて書かれていない。学校で教えられることは、差別や偏見はいけない、優しく接しなさい、ぐらいのものだ。私はこの空間でどのように彼ら彼女らに接したら良いのか、またはどのように行動したらよいのか分からず、大変なところに来てしまったなという感じだった。

ただ、実際は中に入ってみると一緒に簡単な就労作業をしたり、たまに運動をしたりするだけで苦労することはほぼなかった。ここの施設の入所者は主に大人の障がいを持つ人たち、とのことで皆、私より年上だった。どちらかというと年下の慣れない私にみんな気を使ってくれたり、遠巻きに見ているといった感じだった。

作業をこなしつつ無難に過ごして、終盤に差し掛かった頃、1人の女の子と一緒に遊ぶようお願いされた。大人の障がい者向けの施設とのことだったので、基本子供はいなかったのだが、彼女は10歳前後だった。何か事情があったのかもしれない。彼女は身体に麻痺があるのか会話や運動がうまくできないようだった。

作業や運動をしながらだと必要最低限の会話で済む。が、今回は一対一でそうもいかない。彼女の意思を汲めず、一方的なコミニュケーションを取ったりしているうちにうまく意思疎通ができず、激しく泣かせてしまったのだ。

その頃の私は障がいに対する知識も浅く、彼女に対して言葉の通じない外国人を相手にするような感覚をもっていた。思い込みが激しいにも程があるが、そうだったのだ。

泣き叫ぶ彼女を見て、私は焦った。

このままではまずい、なんとかせねば。

とりあえず、たまたま持っていたキャラクターハンカチを使ってちょっとした寸劇を繰り広げてみたり、友人の持ちネタであったミッフィーの歩き方を真似てやってみたりした。呆れられると思ったが意外にも彼女は大ウケだった。それからは必死に彼女の意思を汲み取り、一体何が彼女にとって何が楽しいことなのか、また嫌なことは何なのかを考えて行動した。そうするうちに彼女は段々と笑顔になってきた。彼女は私のくだらない冗談に爆笑したり、私が彼女のわがままを断ると拗ねたりした。彼女は感情をうまく出せない、表現できないだけの小学生の女の子なのだと私はようやく気がついたのだ。

その日は九州の南国では本当に珍しく雪が降っていた。彼女と2人、部屋から庭に積もる雪を見ていた。何だか彼女と肩を並べて雪を見ている自分が誇らしいような気がしていた。

新しい価値観や知識が入ってくる瞬間はゆで卵に似ている。ゆで終わった卵は衝撃を与えて、殻にヒビを入れる。殻をむくと中身はガサガサした硬い外見とは似ても似つかない、つるんとした卵が出てくる。むいてみるとなるほどなといった感じだが、外見と中身のギャップに人類で初めて殻をむいた人は驚いたんじゃないだろうか。その日、私の持っていた価値観はひっくり返り、古い価値観は卵の殻を剥くかのようにボロボロ剥がれていった。

最後の日、彼女は職員の先生に隠れて私のことを見ていた。なんだか照れていたように見えた。

簡単な挨拶をして別れようとしたところ、就業体験お疲れ様、と職員の方から手渡されたのは貝殻で作ったひな人形だった。福祉バザーで出す予定の人気商品らしく、よくできていてかわいらしかった。自宅に帰ってからしばらくそのひな人形を眺めていた。

翌日、学校へ行くと友人達はレジ打ちをしたとか、パソコンで書類作成したとか事務作業の話をしている子がほとんどだった。私は多くを語らなかったが、なんだか少し大人になったような気持ちで満たされていた。

貝殻で作られたひな人形は今でも飾ってある。それを見るたびにあの時、おしるこを作るのは無理だったかもしれないけど、イッタンは作れたかもしれない。イッタンを作って渡したら彼女はもっと笑ってくれたかもしれないな、と思い返すのだった。


後日談だが、教室の窓に貼ったイッタンは爺さん先生に見つかり、「なんよこれは〜」(方言訳 :何だこれは)とぐしゃっと剥がされ、ゴミ箱に捨てられたらしい。友人から騒ぎを聞き、私が駆けつけた時、窓ガラスにはイッタンの手だけがセロハンテープと共に残されていた。 

悔しくて少し泣いた。



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