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ぼくの自炊塾~「18歳からの自炊塾」比良松道一氏著を読んで~

僕の実家では、家庭の食卓の一切の準備を母親が担っていた。私たち兄妹と父親は、今日何が食べたいかリクエストするだけで魔法のように望んだ夕食にありつけた。産まれてから長い間、それに何一つ疑問を感じていなかった。キッチンで日々何が行われているかすら見たことがなかった。

そのため、毎日存分に美味しく温かい食事は食べていたが、それができるまでの過程や、この料理に食材に何が入っているか、食材がどこから来るかなどについて知識はなく、興味もなかった。僕にとって食事とは、お腹が空いたら目の前に提供されるものであって、大げさに言えば、腹を満たすためだけのものだった。

今となれば愚かこの上ないのだが、小さいころは、地面から「野菜炒め」という形で収穫され、シャケは切り身の状態で泳いでいるものだと本気で思っていた時期もあったほどだ。

食事準備や家事が一切免除されている代わりに、ピアノや勉強をしなさいと命じられていた。しなさいと言われるとする気が起きないのが子供の行動原理の相場で、例に漏れず僕はサボり続けた。そのうち、「やればできるけど今は本気になっていないだけ」というくだらない自尊心だけが大きくなっていった。それが高校時代まで続いた結果、結局大学は第一志望に落ち、浪人する覚悟もなく滑り止めの大学へ進学した。勉強以外の一切を免除されていたのにも関わらず大して懸命に取り組むわけでもなく、受験に燃え尽きないまま大学生となった。このころには、この「やればできた」というくだらない自尊心だけが僕を支えるものだった。

そんな何にも没頭できない甘ちゃんが大学で輝けるはずもない。一人暮らしとなり自由となった途端に、僕は飲み会に明け暮れて時間を浪費した。

そして致命的なことに、一人暮らしの大学生にとって「自炊」は健康に生きるために超重要なスキルだった。食事に関して「テーブルに座って飯を口に運んで飲み込むこと」以外何も知らない僕にとっては晴天の霹靂だ。友人と宅飲みになれば、「つまみに何か作ろう」ということになり、僕以外の学生は皆手際よく日頃から作っている唐揚げやサラダ、締めのラーメンなどをこしらえる。僕はそこでは決定的に邪魔者だった。仕方なくそういう時は僕は「多めにスナック菓子とお酒を買ってくる気前のいいやつ」を演じ、「自炊はやればできるんだけど任せる、よろしくね」みたいなことを言って乗り切っていた。そう、自尊心だけは人一倍なのだ。

自炊ができないという事実は、次第に僕の中でコンプレックスに成長していった。「自分の生が自分の力で維持できない」という事実に自信を喪失していった。美味しい店の話題になってもはぐらかすことしかできない。毎日2回松屋に行き、食事は腹を満たすだけ。そんな生活をしていると、体調も崩した。アトピー体質になり、朝全く起きられなかった。お腹はいつも壊していた。今思えば、あの生活で寿命がかなり縮んだと思う。

社会人になって帰省した後も食に関するコンプレックスを抱えたままだったが、母元に帰り健康的な食事に戻った結果、体調は劇的に改善した。そのときしみじみ実感したものだ。今までの僕の生は、母親の日々の食事によって作られていたのだと。しかし、自分で自炊できず、自分の生を自分で維持できない弱さを日々痛感していた。焦りもあった。でも何から手をつけたらいいか分からなかった。

その後僕は結婚したが、本当に運良く、妻はとんでもなく料理が上手だった。そして、僕と違って、食に対し日々真摯に向き合っていた。そんな姿に刺激を受け、少しずつ食に本当の興味のようなものを感じ始めたそのころ、妻はある講演に連れて行ってくれた。

その講演では2人登壇した。一人は「弁当の日」の創始者竹下和男氏で、もう一人は「自炊塾」の創始者比良松道一氏だった。

その一連の講演は僕にとんでもない衝撃を与えた。まず香川県の滝宮小学校で竹下氏が校長としてが始めた「弁当の日」は、生徒に親の手出しなし自分の力で弁当を作らせ、昼食会を開くというもので、衝撃を受けたのはその理論的背景だった。食べ物を調理するのが人間であり、料理を通じてより人間らしくなる。人間が人間であるための行為の一つが料理であり、料理を通じて脳の発達すら促されるというメッセージに、僕の人生は強烈なツッコミを食らった。講演内での「料理をしないこうなる」という話に思い当たるふしがいくつもあり、図星過ぎて逆に受け容れがたかった。自分はもう遅いのだ、今さら間に合わないのだと勝手に猛烈に落ち込んだ。

子どもが作る弁当の日 「めんどくさい」は幸せへの近道 文藝春秋

絶望感に打ちひしがれている中、直後に救いとなる話がなされた。この文章のテーマとなる、比良松道一氏の「自炊塾」の話だ。

18歳からの自炊塾 九州大学 生き方が変わる3ヶ月 家の光協会

九州大学における授業として比良松氏が始めた「自炊塾」は、大学生に自炊の実践を通じて自炊力をつけ、食を考え、人生にとって大切なものを学ぶというものだ。弁当の日と理念は通じていたが、説明の中で、比良松氏はあるメッセージを発していた。

「いつからでも、人は自炊を通じて変わることができる」と。

比良松氏も、40歳を過ぎるまで本格的な料理はしなかったという。竹下氏の「弁当の日」との出会いに感銘を受け、奥さんの代わりに当番制で朝のみそ汁を作るところからスタートしたとのことだ。(18歳からの自炊塾(以下、省略)46~47ページ)

そして自炊の恐るべき底力に気づいた比良松氏は、後悔したそうだ。母をはじめとする自炊の先輩たちの知恵や技をもっと若いうちに教わればよかったと。(4ページ)

小さいころから母の作った料理を何の感慨もなく食べ続け、大学から32歳となった今まで自炊ができないコンプレックスに悩まされていた僕にとっては救いとなる話だった。そうだ、みそ汁作りからだ。それまでの知識で、料理が継続が最も大切であることは分かっていた。だから僕も、朝みそ汁から作ることを決意した。

みそ汁作りは、はじめは調子よく続いた。調子にのって弁当を作ってみたりもした(弁当は続かず今は妻に作ってもらっている)。そして案の定、途中で挫折する期間が何度かあった。そのたびに、竹下氏の叱咤の言葉と、比良松氏の優しい言葉(両者とも勝手に自分に向けられた言葉と都合良く解釈している)を思い出し、みそ汁だけは作ろうと毎朝眠い目をこすって頑張った。

みそ汁作りだけだがなんとか継続していくと、自炊ができず自分の生すら自分で維持できないと感じていた負い目のようなものが薄らいでいった。クオリティはともかく、野菜やら肉やらをみそ汁に入れて食べていれば、最低限健康的な生活は送れるという確信があった。継続していけばいくほど、生きる自信を取り戻す感覚があった。自分の「やればできる」という虚勢のような自尊心は薄らいでいき、周囲により優しくなれていると感じる。

これは僕としては劇的な進歩だった。産まれてこのかた育て続けてきた食事へのコンプレックスが溶け始めたのだ。

そして朝の眠さ、水の冷たさ、めんどくささなどと日々向き合っていくと、自然と今まで食を提供し支えてくれた人々への感謝を感じるようになった。本書でも、自炊塾を受講し終えた学生の感想が紹介されている。

自炊することで数々の苦労や失敗に直面する中で、それまで「子どもなら当然だ」とばかりに享受していた日々の食事が、誰かの同じような苦労や失敗の上に成り立っていたことにふと気づく。その結果、自分のために料理を作り続けてくれた人への感謝の気持ちと、それに今まで気づけなかった反省の念がおのずと手紙につづられるのでしょう。(35ページ)

子供ならというか、30になってもこのことに気づかなかった僕は救いようもないのだが、だからこそ改めて感じる感謝は大きい。みそ汁作りだけでこれだけ大変なのだ。毎日何食も準備してくれる妻や、当時の母には感謝しきれない気持ちだ。

そしてみそ汁作りを通じて、「だし」の存在を知ったり、みその違いで味に全く違いがあることを知ったり(今更かよとのツッコミはあまんじて受けましょう)、ひとつずつ食の奥深さを知っていった。今では、朝作ったみそ汁を娘(1歳4ヶ月)に飲ませるまでになった。娘がごくごくおいしそうに飲んでくれると、また今日も一日頑張ろうと思えるのだ。

子供が産まれると、食との向き合い方もまた変わった。自分の生を維持するだけでない、将来の世代のために今の食を考えなければならなくなった。そこでも、毎日のみそ汁作りは僕に力を与えてくれている。家庭での食という営みに、少しばかりでも力になっている自信を与えてくれるからだ。

そして僕にとってみそ汁作り、そして食は世界との窓口でもある。例えば抽象的な表現になるが、一時期松屋しか食べておらず体調を崩した僕だからこそ、外食産業やレトルト産業などの資本主義がもたらす食の論理と正直に向き合える。それらがもたらす光と闇について、逃げることなく立ち向かえる。そして食と資本主義の関係を考えることで世界とのつながりを想像し、語れる。その力をみそ汁作りは与えてくれている。

本書でも食と世界のつながりについて、次のようなエピソードが紹介されている。インスタント食品やスナック菓子などに使われる食用油はアブラヤシが原料であるが、これらの商品を買えば買うほど当然アブラヤシが多く必要となる。その原料を調達するため、スマトラの熱帯林が伐採されることになり、それはそこにあった植物や森の動物の消滅を加速させることになる。ひょっとすると、私たちが昨日食べたスナック菓子のために熱帯の森の命が犠牲になったのかもしれない、といった想像力の話だ。自炊は、僕たちの身近な食と世界の繋がりを考えるきっかけを与えてくれるのだ(142~143ページ)。

僕たちの命をつなぐ日々の「食」。その向き合い方を教えてくれた自炊塾には本当に感謝している。僕はまだみそ汁を作ることしかできないが、日々の食に真剣に向き合い、考えるようになった。僕たちは食べたものでできている。食べるとは、生きることそのものだ。だから食を考え直すことは、生きることを考え直すことなのだ。

食そして自分の手で作る自炊は、人を変える無限の可能性を秘めている。そしてそれを通じて、人は変われる。いつからでも。

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