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ドブヶ丘の女神

ドブヶ丘基礎知識

空想汚染都市「ドブヶ丘」とはTwitter胡乱クラスタの間で一時期流行ったどこかにある謎の汚染とダメ人間と謎の溢れる都市の事です。詳しくは下記リンクを参照のこと。

ドブヶ丘の女神

西日が射しかかる頃、ドブヶ丘では比較的良好な住環境であるがけっぷちのバラック小屋で、彼女は目を覚ました。万年敷きの布団の周りには空き缶や酒瓶、たばこの吸い殻が転がっている。ああ、もうこんな時間か。彼女はゆるゆると布団から起き上がる。この時間ではもう日雇い仕事は無理だろう。幸いなことに、がま口の中には1000円札が2枚、5枚当たり2円の価値がある地域通貨ドブ券が1000枚ほど入っている。いつもの角打ちはやっているかな?と思いながら、のそり、のそり、と起き上がる。ぼさぼさの髪の毛をとりあえず手ですき、薄汚れたブルゾンを羽織り、寝床からはい出した。

酒浸りの女神

ガラガラと角打ちの扉を開ける。店はかなり古い木造で、あちこちボロが来ているが、ドブヶ丘にしては清潔にしている店だ。嘔吐物も綺麗に掃除されている。女神はいつもこの店で酒を飲んでいるのだ。店は齢80は超えているであろう、愛想の悪い婆さんが1人でやっていた。今日はどうやら日雇いの仕事があったらしく、いつもの面子は誰一人いない。

「おばちゃん、もうやってるよね?大五郎ちょうだい。それと灰皿」

女神はありったけの金をカウンターに突きつけ、酒ケースの椅子にドカっと座る。酒が来たら、キリンビールの景品のコップに並々と注ぐ。

「おっと」

酒をこぼしそうになって、慌てて口を付けて、甲類焼酎をすする。ようやくアルコールの抜けた体にふたたび酩酊が走る。今日も一日無駄に過ごしていた不機嫌が吹き飛ぶような爽快な気分になった。

窓の外を眺めると、遠くに京王相模原線が走っていくのが見える。女神は肘をつきながら、酒をちびちびのみ、ふと物思いにふけった。すっかり酩酊の果てに追いやられた在りし日の記憶が脳裏に浮かんできた。

在りし日の女神

女神は遠い昔から水溢首縊谷で信仰されてきた古い女神だった。信仰といっても、神社ですらない小さな社に祀られている程度で、大した神格ではない。権能すら定かではない。天津神だか国津神だかも忘れてしまった。ただこの悪地にすむ人々を見守るだけの、ごく普通の女神だった。彼女がどれほど頑張ったとして、この地が豊穣の地になることは決してなかった。ただ見守る事しかできなかった。

大きな戦争があった後、この地に機械を持った人々がやってきた。彼らは「東京に近い」以外に何の利点も無いこの地を無秩序に開発していった。工場を立て、廃棄物を容赦なく谷間に流し、やがてこの地は「ドブヶ丘」と呼ばれるようになった。力のない女神は何もすることができなかった。ただお供えの酒をちびちび飲みながら、人間たちのすることを見ているしかなかった。

やがて、この地は周囲と大きな隔絶が出来た。都会の人間達はこの町の良くないモノが東京に漏れ出ることを怖れ、結界を張った。その結界は、容赦なく彼女の権能を弱めていった。忘れられる者が流れ着く汚泥の底で、彼女はもはや「信仰される神」ですらなくなった。かといって「妖怪」や「怪物」にはなれなかった。「ただ人の傍にいる、神のようなモノ」であり、神のような力は何一つ備わっていない自分の姿を改めてみた時、もはや酒に逃げるしかなかった。酒に逃げなければ、発狂しか道は残っていなかったのだ。

「私はもう神ではないのだ…なにも力は無いのだ…いや、確かにたわむれに少女を魔法少女にしたりすることはできるが、それ以外には何も、神らしいものは無いのだ…」

泣くでもなく、嘆くでもなく、彼女はぽつりと独り言を言う。店主の婆さんは当然のように無視していた。

女神の権能

女神が物思いにふけっているうちに、外はすっかり夜風が吹き、机の上の大五郎があと少しにまで減った頃、ガラガラと何人か、いつものメンツの中年男性たちがやってきた。

「よう、女神さん。今日は重役出勤だね」

「たまにゃこういう日もあるわ」

軽口をたたき返す女神だが、声をかけた中年男性の姿に何か異変を感じた。

「おい、ハチ。アンタ、今日何かおかしなことはなかったかい?」

「あー……バレたか。実はちっと、現場で足をひねっちまってな。古い井戸跡らしくおっこっちまったんだ。なあに、ちょっと痛いが明日になれば治るさ」

ハチと呼ばれた男は、照れくさそうに言う。

「いいから、見せてみろ」

女神は目の座った表情で男に促す。男は、照れ臭かったようだが、女神の剣幕におされて、おそるおそるゴム長を脱ぎ、汚い足を見せる。かなり腫れている。もしかしたら、どこか骨が折れているかもしれない。たとえ折れていなくても、この足では仕事に差し支えがあるだろう。

「なるほど…これは…」

女神はコップの残りの酒をぐっと口に含むと、思い切り男の足に酒をブッと思い切りふきかけた。その様は伝説的なプロ・レスラー、ザ・グレートカブキを彷彿とさせるような、見事な酒しぶきであった。

「つめたっ!?なにするんでい!?」

患部に一瞬、光の粒ようなものが纏う。それは酒の粒子の放つ光では無かった。

男は不思議そうな顔で、患部を見ている。

「おう、消毒しておいてやった。ま、大事にするんだな。あたしゃもう帰る。金がなくなったんでな、明日は働かないと酒が飲めない」

そういうと、女神は空っぽの大五郎のボトルを転がし、店を出ていった。

後には、男たちが残り、やがて酒を煽り始めた。しばらくしたところで、先ほどのハチはふと、呟いた。

「おかしいな。あれほど痛かった足の腫れがすっかりひいている…」