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ミツバチを救え!緊急出動

■移動養蜂家からの「Help!」の電話
北海道の採蜜が最盛期を迎えています。たくさんの蜂箱を積んだトラックを眺めていると、2007年9月、まだ私が商売を始めて4年、店舗を構えて2年だった頃のある出来事を思い出します。

9月下旬のある朝のこと、お店を開けてメールのチェックなどをのんびりしていると、電話が鳴りました。
ベテラン養蜂家Sさんからです。いつものように「お疲れさんで~す」と元気良く出ると――
「今、広島でK君がトラぶってる。19日に北海道を出たけど広島で車が故障して・・・。 もう3日も炎天下の中ハチを積んだままなんで、一度広島で巣門を切りたい(開けたい)。 広島で知ってる養蜂家おるか? 巣箱を降ろせる場所を探してるんや!」
「広島のどこ?」
「え? 尾道? わかった、調べる・・・」
調べてる最中にも携帯が鳴ります。
違う養蜂家さんが「あのさ~K君が・・・」てな具合。

K君は今年はれんげの蜜を分けてくれたし、鹿児島でも北海道でも会って飲み会をした養蜂家さん。他の養蜂家さんも心配してアレコレ手配をしてるものの、まだ大半の人は北海道にいて助けに行けない様子です。
「K君は1人なん?」と私。
「お~1人や・・・」
緊急事態です。
しばらくして、何とかハチを降ろせる場所を広島の養蜂組合の人に確保してもらったらしく、ひと安心してK君に電話をしてみました。
「大丈夫か?」
「ダメっす」
「ど~なってるの?」
「車が昨日の夜中に故障して、朝になって車の部品を交換して走り出しましたが、また止まりました。今、マツダの修理の人に連絡をとって、レンタカーを手配しているんですが・・・、 ハチを降ろす所までも行けません」
「手伝いに行こうか?」
「いや~遠いんで・・・大丈夫っす! 何とかなります」
「ハチは? 大丈夫?」
「朝、一度降ろして風には当てましたが・・・だいぶ弱ってます」
「積み替えは誰か手伝ってくれるの? ホンマに大丈夫か?」
「マツダの人も手伝ってくれないんで1人で積み替えです・・・朝も1人でしました」 もう一度尋ねてみました。
「行こうか?」
「・・・・・・・・・。お願いします・・・」
私は店に「臨時休業」の紙を貼り、ダッシュで家に帰り、つなぎに着替えました。
蜂アレルギーがあるので、万が一刺された時用にエピペンを持ち、 仕事の愛車日産ラルゴ(ラルちゃんと呼んでる)に飛び乗り、広島へ向かったのです。
途中、他の養蜂家さんから再度電話が。
「行ってやってくれ!」
「もう向かってるわ!(笑)」
とにかく必死で走りました。

■ミツバチの巣門を開けろ!
3時間半かかって到着した私は、疲れ果てたB君を見て泣きそうになりました。
全く動かないトラックは修理屋さんにけん引されていました。
とにかく一刻も早く巣門を開けたい・・・水をジャンジャンかけて待ちます。
代車のトラックが到着。
巣箱の積み替え開始。私も手伝います。色々な養蜂家さんと出会い覚えていったロープの仕方がここで活きました!
2人で必死で積み替えますが、隙間からどんどんハチは出てきます。防護服は暑いし、 つなぎも暑い。おまけにズボンの下にパッチ履いてるので1リットルくらい汗出ました。

場所を案内する広島の養蜂家さんが到着し、K君のトラックがやっと走り出しました。 後ろから私がラルちゃんで着いて行きます。 巣箱は2回に分けてピストン輸送しないといけないのですが、巣箱を降ろす場所まで30分かかります。知らない土地の山の中へ行くので、2回目に迷子にならないようナビをセット。
私はドブネズミのように汗ダクになり、思わずつなぎの上半身を脱いで、シャツ1枚で運転!
案内された山の中に着くと、巣箱をどんどん降ろしていきました。
途中から私が巣門を開けていきます。
 ――どうか元気に飛び出してくれますように――
自分がハチアレルギーという事をすっかり忘れ、どんどん開けていきます。
やっと外に出れたハチ達が元気に飛び出して行きます!
――よしよし・・・。
でも、中には開けても反応がなく、巣門の入り口に死骸がびっしりになっている箱も。
泣けてきます。
中にはまだ生きているハチがいるので、その死骸をほじくり出して、 「がんばれ!がんばれ!」と言いながら、半泣きになりながら・・・。
案内の養蜂家さんはすぐに帰ってしまったので、帰りはラルちゃんのナビ頼り。今度は私がK君の前を走って車屋まで戻り、2回目の積み替え。
もう日が暮れてきそうです。 再び山までラルちゃん頼みでなんとか先ほどの山の巣箱置き場にたどり着き、全部降ろした頃には真っ暗になっていました。

鹿児島の他の養蜂家M君とKさんが広島に10時間かけて向かってくれています。M君も24時間運転しっぱなしでやっと北海道から帰ってきたというのに・・・。
車の修理には2~3日かかるのらしく、あとは鹿児島の養蜂家さんに任せて私の任務は
はとりあえず完了。
 130群のミツバチは最小限の被害ですんだので、ホントよかった。
任務を終えた私はホッとして大阪へ向かって帰ることにしました。

ところが! ラルちゃんの中はミツバチがいっぱい。夢中で作業してる時は平気だったけど、終わってホッとしたら蜂アレルギーだということを思い出しました。
「K君、どうしよう? 車の中がミツバチでいっぱい。大阪に帰る前に死んでしまう!」
ということで、コンビニの駐車場でK君と一緒にミツバチを追い出し、無事大阪に到着したのは夜の11時45分でした。
「や~~~がんばった!」 
ビールを浴びるように飲み、いつまでも「私って今日はがんばったよな~」 って1人で自分を褒めて爆睡したのでした。
しかし3日間風呂も入らず、着替えもせず汗だくになり頑張ったK君の体が昆虫の匂いがしたのが忘れられませんでした。

当時は私もまだ養蜂家さんとのパイプ作りに必死でした。この後彼のお父様が急逝し、後を継いで頑張っていましたが、養蜂家として生計を立てることができず、残念ながら現在では付き合いがなくなってしまいました。しかしこの出来事でたくさんの養蜂家さんに褒められ、私を知ってもらえたのも事実です。
ミツバチは救えたけど、彼を救えなかったのが今では悔やまれます。

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