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第6回「ぬれせん」の誕生と銚子電鉄との関係とは

 皆様はいかがお過ごしでしょうか?コロナ感染者は減少傾向ですが、引き続き感染対策をして過ごしていきましょう!

 さて今回は千葉のローカル線、「銚子電鉄」を支えるお菓子として有名な「ぬれせん」にまつわる特集です。

 多くのメディアに取り上げられている事もあり、「ぬれせん」と聞くと「銚子電鉄」という路線を連想する方も少なくはないでしょうか?

 銚子電鉄は千葉県最東端の銚子市内を走る全長約6.4kmの小さな路線で、1923年に開業して以来、通勤・通学の足だけでなく、地元の醤油メーカーである「ヤマサ醤油」の貨物路線としても活躍していた過去もあり、年間利用者が最高250万人以上と賑わいをみせていました。

 しかしその後は、過疎化や観光客の減少等で利用者が激減。日々、瀬戸際の経営を余儀なくされています。

◆そもそも「ぬれせん」はどう誕生したのか?

 今では日常的に流通している「ぬれせん」ですが、最初に登場したのは銚子市内にあるお煎餅屋さん「柏屋」で、二代目が初代の手焼き技術を継承し、考案。当時は生地の中までタレが染み込んでいた規格外品を、おまけとして1960年頃に頒布したのがはじまりだとか。当初は「生地が湿っている」と苦情も多く寄せられていましたが、口コミが広がり、次第に人気が高り看板商品になりました。

 その後は「ぬれせん」を登録商標。現在では銚子市内の土産の1つとして販売され、複数の業者が製造等に参入しています。

◆「ぬれせん」ってどうやって作られるの?

 ぬれせんの作り方は至ってシンプル。国産うるち米を使用した煎餅の生地を、焼いた直後の熱々の状態のうちに秘伝の醤油ダレに漬けるというもの。熱々のうちに漬ける事であのしっとりもちもちの食感を生み出しているのです。

◆「ぬれせん」で経営を支えられてる銚子電鉄

 先に記述した通り、瀬戸際の経営している銚子電鉄ですが、ぬれせんがどう支えられてきたのか経緯を紐解いてみましょう。

 慢性的な経営難という問題を抱え続ける同社の増収策として、先行してぬれせん製造・販売に参入していた「イシガミ」という企業が無償で路線を支援するために技術指導を受け、1995年に販売開始。当初は手焼きの実演販売からスタートし、1日6千枚程の売上を誇り、1998年にはぬれせんの売上が2億円を超え、本業である鉄道収入を超える売上で好調を推移していました。

 しかしここで事件が起こります。それは、当時の社長の横領事件。その額は1億円を超え、最悪な事に会社名義で借財をしていたため、同社が1億の借金をこさえる羽目に。。更に時を同じくして国交省の監査が入り、老朽化した線路や、踏切の改善・修理を3か月以内にするよう命じられ、さらには車両の法定検査が迫っていたため、一気に倒産の危機が迫ってきました。

 社員の給与も支払がままならず、労働組合の預金を借りて支払うほどの状態。

国の補助金も切られ、銀行の融資も先の事件で望めず、途方に暮れていた矢先、当時の経理課長が自社サイトでぬれせんを買って頂くよう悲痛なお願いをするとこにしました。

 結果、鉄道ファンや2ちゃんねるを見た人等から注文が殺到し、ぬれせんブーム到来。併せて遠方から利用者も多く訪れ、倒産の危機を免れる事が出来ました。まさにぬれせんは銚子電鉄の危機を救った救世主と言えますよね。

 現在も、東北大震災の風評被害やコロナの影響で鉄道事業は以前不振が続いていますが、ぬれせんを中心に多くのお菓子等が支えています。

 ぜひこの機会に温かいお茶と共にこだわりの醤油ダレを使用したぬれせんを堪能してみてはいかかがでしょうか?下記のもぜひご覧ください🍘

▼使用アレルギー物質:なし(製造工場では、乳成分、えび、いか、ごま、豚肉、りんごを含む製品を生産しておりますので予めご注意ください)

▼オフィシャルサイト(銚子電鉄):http://chodenshop.com/


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