夜、電話して、笑ったりしたのはいつで、誰なんだろう。
夜ご飯を作る。一口でも多く食べさせる。
同時に味わうことなく私も食べ終わる。
観ても意味のなさそうなテレビ番組が流れている。
テレビの奥でいろんな人が笑っている。歯茎まで見えそうなほどにんまりと笑っている。
お水で遊んだり、口からご飯を出したりしていつも私の服は汚れている。
食べ終わった食器を食洗機に入れる。片手で抱っこして片手でお皿を持つ。そして洗濯機の中の洗濯が乾燥したかチェックしてお風呂に湯を入れに行く。下では娘が笑っては突然泣いたりして結局は『ママ抱っこ』と言って私は抱っこに励む。
手を繋いでお風呂に連れて行き、お風呂で遊ぶ。
夫も入って浴槽でぎゅうぎゅうになる。体を伸ばすことは具体的に不可能で、ここからは夫婦の連携プレイが始まって髪を洗ってるあいだに、こうして、ああして、気づいたら娘はパジャマになってコクコクと産まれた時と変わらない勢いでミルクを飲む。お気に入りの絵本の指示がきて私は読む。多い時は5冊。最後だいたいトトロに行きつく。寝そうになったタイミングで、私はむすめのためだけに囁いて歌う。トトロが夜中にパジャマ姿のさつきとめいを連れて空を飛んでいるシーンを思い出しながら。そして娘の寝顔をみて、安心感を得る。
私の役割が終わる。
もう今日の私には、
蔦屋で買った本を読む気力は残っていない。
二冊も買った。それに読みかけの本が家中にある。
唯一私を自覚することができる言葉も
書くことができていない。
未来のことを考えて、希望を抱いたりすることもできないまま、私はLINEに流れているロシアとウクライナのことを見る。気付いたら夜遅くて寝ることにする。
夜誰かに電話をして、笑ったりしたのはいつで、その相手は誰だっただろう。誰だったかな。
結局何が言いたいんだということを、
考えてみたら結構簡単に答えが出た。
寂しい。
何に寂しいかって言えば多分色々。世界は平和にはならなかったということもそうだし、世界は平和にならない。という事実もそうだし、世界は本当に色々と複雑で、絡まるともうほどけることはなく、頭のおかしな人はとことんおかしくなってしまうということもそう、人を巻き込み。子どもを巻き込む。争いから新たに生まれるものはなく、勝者はどちらにもなく、本当に全体が失うだけのことでしかないということが目の前で起き続ける。世界全体と私個体が重なり合う。もう本当、どうにかならないものなのか。自分のことしか考えてないと、こうなるよ。という学びにもしたくない。
トトロを歌ったあとだからなのか、寂しさが肌なじみ、私を眠る時まで寂しくさせる。朝起きるまで、私はお母さんで、朝起きてからも私はお母さんで、夜寝るまでもお母さんで、私だけの私はほとんどいない。
夜、私だけのために、話したり、笑ったり
したのは、いつで、誰だっただろうか。
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子どもたちために安心を取り戻したい。
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