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私達には同じ時間が流れているというから

今日もいつものように娘に起こされて起きる。髪の毛ビーンって引っ張られたり、小さな手の平で思いきり顔面にビンタがやってくる。まぁまぁ痛いしだいたい目が覚める。昨日は少しだけ拗ねたまま眠りました。

彼が今流行りのクラブハウスを夜遅くまで楽しそうにしていたから。という理由ではない。

本当のところの気持ちは分かっている。

私にはその日常みたいなものがすんなり消えてしまった。普通に誰かと話したり、普通にイイネを押したり。普通にみんなは今日こんなのしてるんだーって思ったり。ちょっと外側にいる友人関係も消えて、友人がとてもとても、限られてしまった。すごく小さな関係の中だけで生きて息をしている。正直なところ、すごく寂しい。いいことばかりを、未来のその、いいことばかりを考えて生きるには時間があまりにもゆっくりと流れている。本当はすごく寂しい。外側の世界で流れている私という存在は風と共にゆるやかに消えて、普通の日常を話せないのことが、すごく寂しい。

たまに外側にいる人達と目を合わせると目が揺れていて、私は知らなかったふりをして目尻を上げて目だけで微笑む。全然見てみないふりして、ドウモォって。

映画を観たり、本を読んだり、娘と遊んだり、未来の仕事のことを考えたり、まだ執筆する力は生まれてこない。ただ、時間が過ぎることだけを願っているけど、どう願っても今日は一日しか過ぎない。でも捉え方を変えると娘の顔だけを眺めるのことのできる時間なんてきっときっと今しかなくて、未来の私は「本当に本当に今を大切にしてね」って言っていると思う。

今という瞬間だけに生きている。あの日から私のインスタグラムは着々と望みの通りフォロワーが減っているし、毎日200人、300人とリズムよく消えていく。毎日300人ほどの人たちにあなたを見る価値はもうないと突きつけられている。

今まで数字がどうこう言ってきて、実際直接的にこの数字の中に身を置いて目の当たりにすると、心の奥の方がぎゅうっと絞られる。フォローしてるという事実が嫌なのか私の名前を検索してわざわざフォローを外しているわけだから意識的に消している。薄くなる、薄くなっていく、一日が過ぎるように私も時と同じように消えている、夕暮れは美しいですか。

私の言葉は誰も知らない、私の全てを知らない私も知らない人が、簡単な言葉で奪って、壊して、ぶっ潰して、得たものってなんだろう、なにかのお金なのかな。ただ単に部数が売れたらよかったのかな。何度もリーチしてくれたら収益になるもんね。ただそれだけのために私は綺麗にこの10年の財産を失った。綺麗さっぱり失った。人権を無視した言葉で公に陥れることができるってお母さんの温もり知らないのかな。誰かの優しさ知らないんでしょうか。人の価値や人権を壊して得た感情って誰かを幸せにできる何かは残っているのでしょうか。奪って壊したあとに残るものって、なんなのでしょうか。それは美しいものなんでしょうか。そこに誰かのためになる未来はありますか。

私はあっけなく最も簡単に殺された。ただのカタカナ三文字のテレビに出てる芸能人だと思われたくなくて、生きてる場所で私以上のことができるように考えて生きてきた。でも雑な殺され方のせいで私は呆気なくたった三文字だけのカタカナの芸能人として私は死んでしまった。私の向こうの外側にいる私として私は死んだ。この事実はどうしようもないし、もう死んだから死に方を変えることはできない。

カタカナの三文字としてどう生きるかって生きてきた、自分だけが知っている強さだけが私の元に残って、その強さにだけ守られていている。その強さだけに守られている。

私は何者でもなく、何者でもなかった。


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