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本当に話したいことを、本当に聞きたい時だけ。

初めまして、ラブリです。

まずはじめに、軽く自己紹介をさせてください。

自己紹介って得意じゃなくて、だいたい「生まれは〜」とか生まれた場所から始めそうになるタイプの人間です。愛媛県松山市で育ち、17歳の頃、騙されかけたおかげで東京に上京することができました。怪しい嗅覚に反応する直感だけはよかったのか、それともたまたまなのか騙されかけたところで無事騙されることなく東京という何のアテもない街に出てきました。最初に住んだ町は神社に守られているという不動産屋さんの情報1つで選んだ三田の白山。人が全然来ない六本木のパン屋で働き(土地勘0、六本木がどういう街かはあとで知ることとなる)その後働いた場所はかえって意味ありげな人しか来なそうな赤坂の小さな喫茶店でアルバイトをしていました。「私にも何かできるかもしれない」という曖昧な目標だけで東京に出てきたわけですが、うまくいくはずもなく生活の為にひたすら働くという毎日が続く中、唯一受かったオーディションの仕事を月に1回するくらいで芸能人とは言える芸能人ではなかったとあの頃の自分も自覚していました。そんな時突然、運がこっちを向いてくれたかのように人との出会いが重なったことによって私は「ラブリ」という芸能人として生きる環境に身を置くことができました。そして私はラブリなんだという自覚をしっかりと持ち始めたわけですが、ラブリとしての意味を考えるようになります。大袈裟にいうと存在する意味、みたいなものですかね。客観的にラブリを見つめていたわけです。あの頃は自分が分からなかったというか、自分の説明ができなかった。だから説明できる何かが必要だったし、それは自分がここで生きる上で必要だと思ったので必死で様々な方法を考えていました。そんな自分とは反対にテレビにはそれなりに露出そていたので私への認知度は上がっていったように思います。ラブリだと認識されればされるほどに自分自身への疑いと、うしろめたさでいっぱいでした。どうにか自分自身を確認するために色んな方法を自分なりに考えて、自分なりの答えを出し続けて今に至ります。正直なことを言うと、本当に自分勝手だと思います。最後は自分のためだけの選択をしていたわけですからね。でもこうして、今もし、もし死んでもそれなりに後悔はないとは言えます。もちろん今日という今の今までに、何十回も失敗してきたし、思い出すだけで目を閉じたくなることもあります。失敗を全肯定するほどナルシストではないですが全否定するほど自分が嫌いなわけでもありません。どんな自分を経験しても今に生かされ、今この時からの自分がどう感じて、どう生きているかでしかないのかもしれません。本当大袈裟ですけど。言葉というのは私にとったら自身への確認作業みたいなものでした。反対に言葉を利用しているんじゃないかって思い始めて書かない時もありましたし、書けない時もありました。でもやっぱり書いてないと自分が存在していないような気がします。もちろん書かなくても生きていけると思うんですけど書くことで生きてると少しだけ実感しているらしいです。なのでここは自分が自分を実感できる文章しか書きたくありません。こう思われるかもとかそういう小っちゃいやつを気にしなくていい場所です。聞きたい人だけ来てくれたらその人にはちゃんと話したいなって、それだけです。note始めます。配信不定、でも頻繁に配信すると思います。

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