大人びていた子供は大人になれない

以前の投稿から四ヶ月が経ち、この間に29歳になったジェーンちゃんです。
寿司打でもやればいいものの無性にキーボードを叩きたくなることがある時にnoteはピッタリです。

さて特に書き綴りたいこともないくらいに平和でゆるく生きているわけですが、アラサーの私がJKだった頃はモ○ゲーやm○xiから始まり前略プロフィールやブログにリアル(Twitterのようなもの)、HTMLコードを駆使してのHP作成などが流行っていました。
いわゆるデジタルネイティブ世代なのです。
そしてただダラダラ気持ちを書き綴ることは10何年も前の思春期の頃からやっているのです。

思春期をそんな環境で過ごしていた私たちは、ネットに私生活を曝け出すことは日常のことでした。

時に恋人との惚気を書き綴る子、今日あった嫌なことを書き綴る子、遊んで楽しかったことを書く子と様々でしたが、今時の子達が位置情報アプリでお互いの現在地を把握してるのと同じくらい、
我々世代にも友人が今どこで誰といるのか、そして今日がその子にとってどんな日だったのかわかるものがあったのでした。

常に頭の中で会話や空想や妄想が繰り広げられている私は、昔から哲学じみたことが好きでそんなことを同じように背伸びした友達と語り合ったり、時にSNS上にあげていたのでした。
「ジェーンちゃんが書くことは深すぎる」と言われたことがありますが、今思えば私も言った本人もきっと本当の深さなんてまだ知らない頃だったと思います。

ただ少し周りよりは子供同士で遊ぶこともなく、子供らしい幼少期を過ごしていない私は同年代から見たら少しだけ大人びているようなその節はあったのかもしれません。
ですが今の私、どう見ても同年代と比べてピーターパンすぎる。
なぜか。きっと幼少期に幼少期らしいことができなかったから。

多感な時期に大人びたことをしたくなるのは当然と言えば当然ですが、みんなより少し早かったのです。子供らしく振る舞うことが苦手だったのです。

あの時の私は確かに大人びていた。しかしその大人びていた精神年齢を、いつしか実年齢が超えてしまったように感じるのです。

人は、その歳にあった遊び方というものがあるのでしょう。生まれたての赤ん坊にテレビゲームを与えても、本来の使い方はできません。
ぬいぐるみを与えられ感触を学び、積み木やブロックは空間認知能力でしょうか。おままごとで社会性を学んだでしょうか、鬼ごっこやかくれんぼでは身体能力を高め社会性も学んでいる気がします。

一人遊びが多く、そもそも遊び方も知らない私。一人でいろんなことを空想するようになったのはこれのおかげでしょうか。
それが結果、哲学的なことを言い出す女になったのでしょうか。

気づけば今も一人でいるときや、誰かといても沈黙の時には常に頭の中は会話や考え事がある気がします。中身のないことがほとんどです。この能力を上手く使えていたら、今頃小説家になっていたかもしれません。コラムニスト?ブロガー?
私の頭の中はいつも連想ゲームのようにあちこちにいくので、ゴールがあるわけでもないしまとまることもありません。そもそもいつも何を考えているのか自分自身でもわかりません。

ここまで読んだあなたは気づいたでしょうか?
この一つの記事が、私の頭の中なのです。実は私も今気づきました。
ただタイピングがしたい、と書き始めたこの記事が、私の幼少期の頃の性格形成についての話になっています。
テーマを決めず書くということはそういうことでしょうか。みなさんだったらもっとまとまるのか、それともこんな風になるのでしょうか。

利益も考えない、別に誰に書いているでもない、こんな気持ちをもしかしたら見ているかもしれない誰かに、伝わっているかもしれないというこのnoteが私は好きなのです。
もしここまでお読みいただけた方はスキしてくれたら嬉しいです。



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