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写真にこっそりと映し出される人間関係だけは決して消えない
新年あけましておめでとうございます。
2019年も、地味にこの日記を続けていきたいです。
実家に帰ってくるといつも、写真について考える。
わたしは今写真に関わる仕事をしているし、ネット中心の世界で生きてしまっているから、記憶、記録としての写真にあまりに無頓着であった。
母親はいつも、写真を撮るたびに必ず現像する。データではなく手元に残る形にする。
『データだと携帯電話壊れたら無くなってしまうでしょ』
が合言葉である。これは少し合っているし、少し間違っている。でも、そういう気持ちで写真を残す。それがどんなに心地良いことかと思う。
実家に帰る度に変わっている、棚に飾られている写真を見ると、わたしは勝手に愛おしい気持ちでいっぱいになる。
例えば、このような情報量の少ない写真から連想ゲームをしてみる。
どこで撮ったか、いつ撮ったか、小さい液晶画面には何が写っているのか、全くもって覚えていない。
それでも、誰と一緒にいたか、誰が撮ってくれたかだけはその人が写っていなくてもいとも簡単に思い出せる。
それが写真のいいところの一つだと思う
写真にこっそりと映し出される人間関係だけは決して消えない
たまにふとカメラロールを見返す。
当たり前のように自分の愛すべき人たちの顔が並んでいる。
周りにいる人も気が合う人ももちろん変わっていって当然だと思う。
顔も名前もはっきり覚えてるのに、もう二度と会わない人がたくさんいるんだよな、なんて考える夜もある。
そういう人たちのことを思い出すとき声が全く思い出せなくて、
人は声から忘れていくのかもしれないと思った。
もしそれが悲しいのなら、逢いたい人には逢いにいきたいな、写真もちょっとだけ撮って残しておきたいな。「ハイ、チーズ」の合図で始まるちょっとカメラを意識した写真で全然いい。
タイミング良いし、2019年になったことを理由にしちゃったりして
これは夏らへんに撮った家族の写真。場所は覚えてない。めちゃくちゃ好き
おしまい。
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