わたし、自分がいいと思うものを確立するにはまだ無知すぎる。
こんばんは。ご機嫌な人です。この時間に更新ということは美味しいお酒を飲んだあとです。
日常写真は一種の自己投影。
例えば写真家の男の子がずらーっと、同じ場所で同じ日の丸構図で撮った女の子の笑った写真を4枚並べて、
「どれが僕の愛する恋人でしょうか?」
と質問されたとして、多分わたしは直感でしか答えられないし、正解する自信もない。
だからわたしは、
写真には撮り手のその人への愛情が写る説
を全く信じていなかった。
でもどうやらこれは分かる人には分かるみたい。経験したことしか備わない。経験していないことを分かってるかのように語るな。だね。
そしてわたしの写真は人が写っていないのに人肌を感じるって言われてうれしかったよ。
確かにわたしは人間が好きです。
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今日は綺麗なものの話をしました。用もないのに会って気付いたら終電だったとき、幸せだなあと思います。そうこうしてたらやってもーた、1116が過ぎました。わたしは縦線がすきなので1を並べ、最後だけ丸めてみたのが6です。
いいと思った直感は意外と当たるから考えるのやめよ。
こじれちゃうでしょ。
国境を超えたら変わる他人評価誰がそんな気にする必要あるのかね。好きなものを好きだと言えないときのほうがもしかしたら自分は泣いてるかもよ。プライドを守るべき場面は人生の1割りくらいかもね。自分の思うかっこいいものに沿って生きたいからいろいろ教えて。
わたし、自分がいいと思うものを確立するにはまだ無知すぎる。
まだまだたくさん知らないことがあるでしょう、そりゃそうでしょう**
将来はビニール袋を持っても堂々と電車に乗るわ。
それにしても、あなたのモノの見方が好きって告白、ちょういいね。憧れ
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