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いいねが消えるか自分の感性が消えるか

始発の時間。薄暗く蒸し暑い。空の色はグレー。最近のニュースといえば、グレーになってることばかりの世の中の恐ろしさに、自らの人生をかけて声を上げてくれる人の話ばかりだ。

今はラップを聞いている。言葉の重みがズシンッとのしかかってくる。この人たちの言葉は、自分たちの言葉だと信じたい。嘘偽りばかりが飛び交っていって目眩がする。自分と、自分が信じたいと強く思ったものは信じたい。対象となるものは自分と関わりがあるものすべて。好きな人。好きなこと。好きなもの。100%信じるのも100%疑うのもなんか気持ち悪いから、自分が思い込みたい程度で。

結局、人間思い込みの力に引っ張られる。
たとえば、プラシーボ効果というものがあるように。
たとえば、恋は盲目だという言葉が存在するように。
たとえば、いいねがたくさんついたInstagramの写真は、自分が適当に載せたものでもいい写真に見えてくるように。

Instagramのいいねの表示がなくなるという。
他人の目を気にして、いいねの数で写真の評価をして、自分の感性を殺してしまった人が何人いるだろう。わたしもそのひとりだ。
数字にメンタル支配される毎日。いいねという存在だってその支配者の1人だ。
自分のアカウントであるにも関わらず、自分じゃないような気がした。わたしが発信したいのは、共有したいのは、美しいものだった。美しいという言葉の意味は深く、広い。ここ最近、あからさまに嘘をついていた。だからなんとなく、発信もどんどん減っていった。

せっかくの好きという感情、もっと大切にしたい。

SNSでももっとハッピーな気持ちになれるニュースがたくさん流れてくればいいなあと思うのに、悲しい気持ちになるニュースばかりがたくさん流れてくる。そっちのほうが老若男女問わずいろんな人が反応するからだと思う。恐ろしいほど寂しい社会。

日常的に美しいものをたくさん目にすることができるSNSであれば、人間の思考もいい方向転換するだろうな、いや、わたしたちが変わればSNSのあり方も変わるのか。

いいねが無くなるのには大賛成だわ
自由。自由なのに。
ここはただのプラットフォーム

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