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馴染むことのむずかしさ

わたしは小学生のころ、担任の先生に、
「あなたは天邪鬼やな」
と言われた。

わたしは「天邪鬼」ということばを知らなくて、
「あまのじゃく?何それ」
ってフリーズしてたけど、だからと言って、あまりどうとも思わなかった。

しばらく経って、「天邪鬼」の意味を知り、なるほど、その先生の言うのもうなずける!と思うに至る。

【天邪鬼】
1 わざと人に逆らう言動をする人。つむじまがり。ひねくれ者。

わざと、ではないのだけどね。

ある時、水族館に行った時に、イワシの大群を見ていた。
みんな同じ動きをしていて、おもしろかったのだけど、
こういう人生は遠慮したいと思った。そして、こうはなれないとも。

ある時、魔が差して就活というのをして、スーツを着て、たくさんの企業が集まるところへ行ってみた。駅に着いた途端、スーツ姿の人たちがたくさんいるのを目にして、一気に無理だと思った。
この一部に自分が属することに気持ち悪さを感じる。

わたしは、馴染めない。
これは、薄々感じていた。

グループに属するのが苦手で、流れにのまれてグループに属したりもしたけど、自分を出すことができないことが多かった。

クラスには馴染んでいるように一見見えるし、いじめられるタイプではなかったけど、基本的に浮いた存在だったのだと思う。
だから、いじめられている子と遊ぶのも平気だったし、「かばう」という発想もなく、みんな平等に知り合いだった。

そういうのを今更ながらに気づいた。
ずっと、普通に生きたいと思っていた。もっと当たり前のように馴染みたい。
イワシみたいにさ。

わたしは、天邪鬼かもしれないけど、みんなと同じように生きることがうらやましかった。
自意識が芽生えていなかったころはそんなことにも疎かったけど。

学生のときは、「馴染む」というのが結構必要なのかもしれないけど、社会に出たら、そんなに必要性を感じなくなった。

自分らしく生きる術を探す方が、人生を楽しめるはず。

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