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向き合うとは~経験から考える~

本気で「向き合う」とこころに残る。

そういうものを残したいと思う。


これまでを思い返すと、
あぁ、本気で向き合えたこともあった!
と感じることもある。

ただし、わたしはイイカゲンな性格なのか、小学校や中学校の記憶がほぼないし、特に、勉強のこととなると、何をしてたのかさっぱりだ。

そんな中で、ひときわ煌きを放つ思い出。

その時の自分は、本気で「向き合う」ことを強いられていた。
(強いられていた、というところが肝)

例えば、小学校6年で行ったサッカー。
その日は雨だった。

その時、なぜか、わたしがいつもシュートする役目を担い、しかも、そのシュートをことごとく外すということがあった。
はじめは、気持ちをそこまで注いでいなかったけど、周りからの見えない圧がすごかった。
結局、すべて外して、ゲームは終わった。
その後、泣いた。

泣いているわたしを見て、クラスメートが、
「責任感のあるやつやな。」
と言ってくれた。

イイカゲンなわたしが、いつしか、本気で向き合うしかない状況になり、その「本気」が通じた瞬間だったと思う。

他にも、思い出せることもいくつかある。
しかし、それは、同様に、自分から望んで、一歩踏み込んだわけではなく、相手が自分の懐に飛び込んでくれたおかげで、「向き合う」ことを選べていた。

ただし、そうであったとしても、本気で向き合えた経験は、自分のこころに鮮やかなものとして残り、おそらく、誰かの記憶にも残るものとなりうるだろう。

また、本気で向き合うことができたとき、それが、想像以上のものになってかえってくることがある。それは自分の宝物になる。

自分から一歩踏み込むには、ということが今後の自分の課題なのだろう。う〜ん。

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