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土偶頭、やってみてわかったこと

訳あって土偶の頭を再現することにした。

いろいろ捉え方はあるだろうが、土偶の頭部表現を縄文人たちがやっていた髪型、と考えて再現している。

で、だ。

モデルにしたのは「ミミズク土偶」。

頭頂部に3つの突起を持ち、おでこには縦櫛を挿したと思しき表現がある。

ので、それも再現することにした。

縄文人たちがどれほど「洗髪」に対して意識があったのか、今を生きる私たちは知るよしもないが、今のように「毎日洗う」という意識はなかったはずで、であるならば、自らの皮脂によって、結構脂ぎっていたと思われる。

その上、刃物と呼べるものは黒曜石とか貝を割ったものとかしかない。つまり、髪の毛を切っていたとも想像し難い。

ということで、ミミズク土偶にあるように、脂ぎった長い髪を頭頂部でお団子にまとめていた、ということが想像される。

いつもお世話になっている考古学美容研究所さんにお願いして土偶頭にしてもらった。

施術してくれるイメケンは、確かに技術を持っていて、

あっという間にこの頭にしてくれた。

「皮脂や砂埃なんかが髪の毛についていたら、それが整髪料となって髪の毛をまとまりやすくしたでしょうし、ゴムとかピンなどがなくても、縮毛であればねじり上げれば、癖も付きやすいですし、簡単にできたと思いますよ」

ということらしい。

そこで問題になったのが、この赤い櫛である。

各地で見つかる櫛は、今のように横櫛ではなく、縦櫛で、細工が施されたものが多い。つまり、髪をすく、という櫛の機能以上に「見せる、飾る」という表現に力を注いだ櫛といえそうだ。

そうかそうかとミミズク土偶のようにおでこに挿してみたが、なんかおかしい。土偶の通りに挿すとお団子に対して正面から挿すことになり、これでは周りの人に赤い櫛をみてもらうことができない。

みんなであれこれ私の頭に櫛を刺してみて完成したのが冒頭の写真である。

なんとなく、これっぽい。

たかが櫛を頭に挿すだけなのに、右往左往する現代人。

遺物としてみている櫛とはまったく違う。簡単に「頭に挿していた」などと表現するが、やってみないとどうやって挿していたのか、皆目検討がつかない。奇跡的に長い櫛の部分が出てきたりするが、それ、頭に挿そうと思うと、相当苦労すると思う。

こんなことをわちゃわちゃやりながら思う。

わたしは本当に遺物が見れているのだろうか。資料として愛でているだけでは、何もわからない。見ているに過ぎない。櫛ひとつでさえも、こんなに右往左往するということは、本当は何もわかっていないということなのではないか。

そもそも「櫛に透かし彫りがしてあるからそこは縄文人が見せたい装飾部分だったのではないか」と勝手に思うが、それは現代人の感覚であって、装飾部分を見せたいという美意識を彼らが持っていたかどうかはわからない。彼らは、見せるために装飾していないかもしれない。

そんなことを考え出したら、何にもわからないのだけれどwそれでも、縄文人に近づきたいと思って、土偶頭にするのである。


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