見出し画像

属し方を納得するために物語が必要

題名の文章は、村上春樹の言葉をしたのnoteで解釈した末に書かれていたことば。

「属し方を納得」。うえのnoteでは子供の頃には、戦う物語と、助け合う物語が目立つよね、と書かれていたが、

実際にはものすごくいっぱいの属し方があると思う。

さっきまで「法王の休日」という映画を見ていた。法王就任した枢機卿が「やだ、やりたくない」と逃げる、ちょっとコメディだけど、カトリックの在り方を問いかける映画にもなっていると思う。

ぼくはキリスト教に縁が深いから、(教会に属さずに自分で祈っているへそ曲がりだが)だからこそこの映画には共感した。

強いリーダーを欲する信徒に対し、最後やっとされるスピーチで法王役は言う。1人間でもある「わたし」はあなたたちの指導者たり得ない弱い存在だと。

それが正しいかどうかがわからないが、これこそ神のみがあなたを救える、という教義に沿っている気がする。

物語としてのこの映画は、老年で逃げて、逃げ切れずに役目に戻った主人公に、「逃げる」ことと、「謙遜」を語りかけていると思う。

ヒーローを待った大衆は失望するが、だれかに大役を任せ過ぎることの無責任さも問われていると思う。

__________________________

しかし、人間は集団、社会で分業しないと生きていけない弱い人間である。

ぼくは障碍者手帳を持っている。そして、かつては障害や病気を持つ人を補佐する側を目指してきた経歴がある。

福祉事業所からお金をもらう立場である。

そこにある立場の物語を書きたいと思う。

自分の弱さに打ちのめされ、さまざまな道を閉ざされてしまった生き方。

関わる方がいい人ばかりで、ほんといい時代に産まれたと思う。

あと2、30年前に産まれていたら、隠れて生きるか、バレて去勢や監禁されていた可能性もある。

先輩方やその家族や関わる方が熱心に改善してくれた環境で僕は息を吹き返した。

その環境を活かし、うまく生活していくことは、ぼくの後輩への贈り物につながる。

3日後から新しい事業所で、はじめて「障碍者として」お金をもらう道のトライアルがはじまる。このコロナ禍で見つけた、在宅の仕事である。

運よく見つけたが、普通にググっても出てこない。

まだ認可されて1年たっていない事業である。

続く人のために難しい課題に取り組むこともあるかもしれないが、開かれた道を歩もうと思う。

サポートはインプットのための読書や交通費に使わさせていただきます!