恐ろしい音を彼女は聞いてしまった。


周囲に従えば"音"を無視することになり、"音"を聞こうとすれば周囲から突き放される。どちらにしろ嫌だった。どちらにしろ苦しかった。どちらにしろ我慢するしかなかった。正しいことが、自分のすべき選択が、本当に分からなかった。

この部分は印象的な部分だったが、精神医学の脊髄反射的なコメントでは「うつ思考」ととるだろう。精神科はこの思考を眠気の出る物質やホルモン調節で緩め、休息や活動で「忘れなさい」というかもしれない。カウンセリングの認知行動療法で、「音を気にしないほうが楽でしょ」と理論的に導いて、騙してでも、生きやすくしようとしてくれるだろう。

私が出会えたうちの数人の医師のように良心的なベテランなら、「うつ思考」とかたづけてはいけない、と盤石の布陣を敷くために、カウンセラーやワーカー、同僚と話をしながら、どう生きていくかをサポートする言葉を考えるだろう。そんな医師たちも社会の仕組みを憂えているだろう。

なぜなら、「どっちにもいけない」という「うつ思考」は折り合いをつけなければ進めないから。しかし、あまりに理路整然とまとめられているKojiさんの文章。うまい。アートだ。Kojiさんは自力で「音を聞きながら」歩き続けたのだ。一万円サポートしたい・・・と思い、自分の小ささを意識しながら、それくらいは将来的にはしたいな、とか考える。

精神科はこの思考を眠気の出る物質やホルモン調節でゆるめ、休息や活動で「忘れなさい」というかもしれない。

これを、「自分を忘れる」瞬間だと思う。

これだけ理論的な頭脳をお持ちのKojiさんはその喪失でどうなるか、予想もつかない。こんな問題を、時に流れ作業でやる医師はできないと思って僕は医学部を中退した。自分が持病があることも大きかったが。皮膚科はペンキ屋らしい。ペンキ屋にはなりたかったが、外科1か月必修を乗り越えられなかった。

医学部だったので大学病院の院長とホープをつけてもらったので、Kojiさんのように模索をするのでなく、

僕は模索をいろいろ切り上げ、逃げた。

それでもこれを書くのは、やはりいろんな理不尽があったからだ。伝えたいものは輝きであるが、文学は怨嗟のるつぼ、「正しい堕落」と言ったろうか、坂口安吾が。堕落論だったろうか。石原慎太郎が新堕落論とかいう本を出したので読んだ。石原さんのほうは「鉛直の気概」みたいなことを言っていて、老害になることは避けられないというツイートを思い出させた。

公衆衛生学を学んだものとしては、Kojiさんは労働関係の相談部署に訴えて、理解者を作るのが一番だったのではないかと思うが、

しかし、この「音」。

無視することになっていただろう。


と、言ってみたが、この「音」を聞きながら人間が生きていけるものだろうか。激務をこなす、脂の乗り切った精神科医より激務だ。

世には統合失調症という、本当に罵詈雑言、行動の一つ一つへの誹謗中傷がやまなくなる病気があるが、この病気はストレスや環境に関係なく、人類普遍の病とされている。ぼくの頭で鳴りやまなかった声が「天下の業病」といっていたが、まさにそれだ。人種、地域差なく、まんべんなく1000人に7,8人、だいたい100人に約一人がこの病気になっているらしい。

薬を使っても幻聴が消えない人もいっぱいいる。ぼくは消えたが、たまに出る。

果たしてどんな生活になるのか・・・一生いじめられっ子をやらされる。

幻聴にタコ殴りにされて廃人にならなくなっただけマシなんだそうである。

自殺率も高い。

わたしはこの病気である。

わたしはキリスト教育ちだったので、聖書を端から端まで読んで、

幻聴にエクソシストのように一人の部屋で立ち向かい、医学生とエクソシストの二重生活を5~10年続けた。机の横のクローゼットに一面聖句を書いたメモを貼り、毎日聖句で身を守ったが、それを見た母に、「頭おかしくなったの?」と言われて、我ながら怖いと思った。

結果、幻聴は薬と祈りで引いていったものの、医学部に耐えられなくなり、逃げるように入院した。

それどころではないのに「医者になったらすべて変わる」と夢見ている家族、教職員を3年ほどかけて説得して中退した。

統合失調症は本当に支離滅裂な病気で、手記が少ないらしいのでここに書いておく。

Kojiさんにとって救ってくれた神は、名が別にあるかもしれないが、「小説家」という形で存在したのだろう。文壇が宗教的権威ならば聖人たちだろうか。

「音」

なんという表現だろう。

理性が聴くべき音をここに増やしてみた。

Kojiさんには身の危険があったら、行くべきは精神科だと思ってしまう。

若くして亡くなる芸術家は多い。外務省なども自殺率が3倍らしいが。

戦うほどこの世の中はいいものだろうか。どう目を凝らしても、いつみても、見方を変えたり、揺らしても半分腐っているのは変わらない気がする。

その腐った部分に人類はメスを入れてきたが、聖人となるか狂人と言われるかの博打に見える。寝て忘れてしまえばいい。

自分のことで精いっぱいなのは、なにも悪くないと言いたい。

店をやられているらしく、立派だと思う。町はずれの心療内科クリニックにこっそりでもいい。

腐った手段で収められてた金銭もどれくらい混ざってるかわからない税金から医療費を取り分一杯とって、薬を「うまく使」って、(頼るのではない)それなりに生きればいい。

その頭脳を病院で強制的にシャットダウンされるまえに、いい病院を見つけてほしい。

「人間の脳は大きくなり過ぎた」と誰が言ったのだろう。

進化の過程で脳は大きくなり続けたが、ここ何千年、同じくらいの大きさで安定している。

動物が微笑むのは人間がそうとって喜ぶから覚えるのかもしれない。

生物にとって、ヒトという形態はそうとうヤバい(いろんな意味で)のである。安定してしまっている。

ここまで言うと、聖書の「神は人間を自分に似せて作った」ということばを思い出す。

突き放して読むと、高慢ちきなバカカリスマみたいな言葉だが、聖書は2000年廃刊にならなかったベストセラーである。

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小説という神を見つけて生き残ったKojiさん。

仏教でも「戦い続けるもの」を「修羅」と言って、人間以下というそうです。

平穏と喜びがありますように。


ぼくも人のこと心配してる場合ではないんですが、最初は心配ではなかった。「音」を僕も聴いたと思ったのだ。

違う神に仕えてますが、幸多からんことを。

ぼくもキリスト教に不満たらたらですがね(笑)

不良が消えないのも、少々心地いい形態なんでしょうね。

ちょい悪おじさんはここらで筆をおきます。

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ぷちって音が鳴りやまなかったことあったなぁ。そのままにならないように、必死につながりなおすのを祈ったっけど、ポルターガイストかってくらい大きくなって、無視して寝るようになったな。

つなげるときはつなぐか。

高校卒業の時、仙人になりたいって思ったが、なってしまったか。

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