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ゲヘナの炎

イエスは、肉体を殺せるものより、神にゲヘナの炎ですべて焼き尽くされることを恐れなさい。そうすれば何も怖くない、というようなことを昔おっしゃられました。

ゲヘナの炎に焼かれるということは苦痛や恐ろしさ、無になる恐怖などすさまじいものなのでしょう。
まさに語る言葉が人間に許されていないほどのものなのでしょう。

それよりはましと思える悪夢を、病気の時見ました。
それでさえ、それでPTSDになったのではないかと医師に相談するほど恐ろしいもので、永遠のような時間、はらわたが煮えくり返り続けるような、筆舌しがたい永遠の苦しみの存在を想像しました。

手塚治虫の火の鳥にある、惑星にたった一人で、老いて死んでも、生きるのが嫌になっても、死んでも、赤ちゃんからやり直す罰がありましたが、
それよりもゲヘナの炎に焼かれるということは耐えがたいものなのだろうとおびえます。

なぜそのような神を信じるのか、という人もいますが、
もしそれを知って神に背を向けたら、恐らくゲヘナの炎は避けがたいほどに罪深い、私があなたよりもはるかに罪深いからかもしれません。

法は車のない通りで信号赤だけど渡ってしまったり、家族に内緒でギターを買ったくらいですが、ほかのこまごまとした罪を思い起こすと、
紙に書いたら天に届くのではないかと思うからです。

神を恐れることは知恵の始まりと聖書にあります。
世の理を、恐れる前は知らないだけかもしれないのです。

まあ、打算的に僕の感覚を説明すると、ユダヤ教、キリスト教の神の恐ろしさを知ったので、その罰を受けるぐらいなら信じておくかって、
それだけです。

教会も行かないし、オンラインバイブルサロンもしょっちゅう忘れますし、
お願いばかりではいけないと偽善者のような祈りをして、JPOPで泣き、
悦に浸っているだけの愚か者です。

イエスは子供のような心を持っているものが神の国にふさわしいと言いました。
僕はそれに近づけているかもしれません。
認知症は、その道を歩んでいるのかもしれません。
苦しい苦しいと思うほど苦しみで頭や体がいっぱいになっていきます。

子供のような奔放さ、無鉄砲さ、警戒心・・・
それが本質かもしれません。

議論で神を否定し、超越者のように語って立派に生きたつもりでも、
知らぬ間に踏みつけにした人々への罪でゲヘナで焼かれるかもしれません。
僕の見た恐ろしい夢は弱火のゲヘナの炎かもしれません。
まあ、まだ生きて、一応信仰心を取り戻したつもりになっているのですから。

本当に焼かれたら本当に何もないかもしれません。
人間同士の関係で言うと脅しに屈しているようで理性的に了解不能という人もいるでしょう。

でも、理性、理論で人間が何万年と社会を作り上げ続けているのに、
病も苦しみも戦争も争いもなくなっていないのは、理性ではどうにもならない理の中で生きているからでしょう。
そこで理性にのみ頼ることの愚かさを、僕は学びました。

そんなの妄想だというなら、神のように、ガザやウクライナの戦争を止める、永遠の炎で焼かれているような病人の苦しみを和らげる、癒す方法を示してください。
無理でしょう?
僕は医学の座学のみの国家試験にはパスしてますが、医学の弱弱しいこと。
「私、ミスしませんから」外科医は絶対言いません。
1%の確率に賭けるオペをしません。
愚かな人間が集まって、少しずつ自分たちの苦しみを減らしてきている、長い過程の一部にすぎません。

ちょっと学があれば、1000年程度ではすべて人間の手で解決しないことがわかります。それを寿命100年で重いと思ってませんか?
それで子供に期待をかけていませんか?
罪とは言いません。
神は信頼を寄せろとしか言ってません。
理由はその方が本人にも都合がいいからです。

いろいろな皮肉屋が神の不在を喧伝し、不可知論者が認められるようになりましたが、責任をまだ問われていないことを喜んで自由にふけっているだけに見えます。
どうなるでしょうね。

まあ、聖書の読み方では、神の子イエスが我々の罪を背負って死を味わってくださったから、我々は罪の責任にモラトリアムをつけてもらったり、
最後は救っていただけるのです。

そこまで知って、恩義を忘れて「信じない」なんて不義理はできません。
まあ、人間の頭で考えていることなので、
自称不可知論者や宗教アレルギーの人は、「カルトと一緒じゃん」と思うかもしれないですが、僕は、仕事に打ち込むこともカルトになると思いますし、楽しい時間を味わうことさえカルトのように感じることもあります。

それを否定はしません。伝道者の書で、ソロモンが、この世は喜びを味わうこと以外、もっと言えば、仕事を楽しむことしかむなしくないことはないようなことも言ってます。
あんま好きじゃないけど、突き詰めれば意外とそうなのかなとも思いますが。

どーでもいいんです。
イエスの忠告は救いが成就される前に言われたことです。
その後には地上では争いや悲劇が起きますが、
それは元から。

クリスチャンで、ちゃんと神様に信頼できてる人は喜びばかり口にします。
まあ、性格的に皮肉を言うパウロもいますが。
だから、もう、救われるんだから自由ってことで、イラク戦争も、ガザも、ウクライナもってことですかね。
もしかしたら、何かが自業自得なのかもしれません。

信じてないより、信じてた方が、僕は楽っすね。
じいちゃんになってもそういえてればいいなと思います。
なかなか長寿が多くなって、無くなる友人などを見る機会が増えてキツイ見たいっすけどね。

理性とか、落ち着いてとか、必要ですが、
信じてるものを信じるのは日本国憲法でも保証されてますしね。
世界に広がればいいなとその箇所は思います。

死もいつ来るかわからない。
日本が中国領になったり、アメリカ領になったり、ロシア領になることもあり得ます。

なるべく明るく、ささえあって、気持ちよく思い出したように神に感謝する。僕はそれだけです。

労基法の8時間って何で決まったか知ってます?
ヒト、ホモサピエンスが労働に賭けて耐えられるデッドラインです。
一般雇用、残業やっと少ない企業が偉いって言われ始めてるくらいでしょ。

もう、「人間の賢さよりも、神の愚かさの方が賢い」のでしょう。
ちょっと神仏、御柱、何でもいいので、考えてみませんか?

僕は子供のころからキリスト教の環境で40歳まで来たんで、キリスト教と日本人が水と油なのは知っているんで、自分だけは信じさせてって言ってるだけです。

神社仏閣、パンフレット置いてあります。

清水寺のもう亡くなられた大僧正が、100歳記念に言った言葉を紹介しましょう。
「よく食べ、よく働き、よく寝なさい。そして、神仏の一つでも信じたら、健康な心が宿る」
こんな感じだったと思います。
不可知論者は、聖書にも書いてあります。
完全な神の領域にパウロが行ったことがあるのですが、
語ることが人間に許されていない言葉があふれていたそうです。

キリスト教も不可知論を真っ向から認めてるんですよ。
なのに、「俺は不可知論者」と神を信じないで、何を軸にして、何を信じるんでしょう?
僕の音楽の好みの浮気性と同じことしてるだけではありませんか?

悟りも神も分からない。
だけど、なんだかすごいものがこの世を動かしてる。
だったら、声をかけてくれる神様仏様を信頼してみるのもいいかもしれませんね。
そのうち手痛い目にあっても、自業自得。

一度は忠告しなさい、3度というのもありましたかな。
それでもだめならほっときなさい、神様が心配してくださるからと。

聖書に書いてあります。

宿題:神仏について考える時間を持とう。

はい、宿題やらないとどうなるかわかんないかもよ~

んじゃ、ギターでも弾くわ。
じゃね。

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