sasaさんにめっちゃ褒められた話
悩める盟友、sasaさんのNOTEです。
この方のスキは、ぼくのツボによく入る!とても嬉しい気持ちにしてくれるNoterさんです。
と思っていたら、
読み進めたら僕が褒められちゃいました(;^_^A(笑)
以下にコメント欄に書き散らした、僕の答申を載せます。
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心理学の一説では、インプットとアウトプットは5分5分くらいがいい、って話を思い出しました。
そして、本を読んだり、何かを感じるのをインプットとして、記事やコメントはアウトプットとしてやってるんですが、コメントはけっこう「おしゃべりな近所のおにいさん(おじさん)」的にやりたいと思っている・・・というか、そのスタンスが好きです。
ぼくは和をすごく大事にしているんですが、20代の頃は、マイノリティのフリーバトル部屋みたいなSNSのコミュニティにいました。
そのころのぼくは、インプットしたものに偏って、和を取り持つつもりなのに火種を巻いてしまうこともありました。
まあ、若気の至りというか(笑)30過ぎて、知識を振りかざすのをやめました。
和を大事にする、悪く言えば「中身があんまりない、馴れ馴れしいコメントをするおっさん」になったと思います(笑)しかし、自然に和を重んじるようになったのでなく、福祉系の大学の勉強などが背景にあると思います。
_____続き
もともとは、論破!論破!な子供だったんですが、アサーティブ(自分も相手も立てる)というコミュニケーションを福祉系大学で磨きました。そちらは卒業できました(;^_^A
雑談レベルでは切れやすい人に喧嘩売られて、「そういう方なんですね、ぼくはそういうの嫌いなので、少しお話聞きます。」というトラブルしかありません。そして、それでもキレ散らかす人には、「私としゃべるのも嫌なら席を外しましょうか?」と去ります。
福祉の専門家を目指していたのですが、プロでは席を外すのは最後の手段だし、相手が泣いたり、怒りを吐き出すのを受け止めて、スッキリさせてから話してもらいます。リラックスさせなきゃいけないし、タバコもやめたほうがいいし(-_-;)
ここまでは僕には自信がないので求人に応募もしていません。それで「近所のあんちゃん」やってます(笑)あしたからちょっとした在宅ワークをして、(千葉のオープンドアという会社)リハビリします。
優しい優しいと言われて育ったので、攻撃性を磨く思春期でした。
そして、問題に切り込む勇者を気取って喧嘩しまくりました。
それでも優しいと言われました(;^_^A
ある50歳のおじさんにそれを悩みとして言ったら、「歳とれば自然と厳しさはでてくるから、やさしくていいんじゃない?」って言われて、歳をとるのが楽しみになりました。
_________続き
コメントする「レスポンス」も、相手を褒めるだけの太鼓持ちタイプを音声ライブのコメントでたくさん見ます。そういうコメントで主が満足してる枠には長居しません。
NOTEではライブ配信のコメントより、礼節を考えてコメントしています。
それで質が良くなっているところをご覧いただき、お褒めいただいたのだと思います。
とても嬉しいです。ありがとうございます。記事にしていただき光栄です。
ライブ配信のコメントではお笑い芸人みたいにボケたり、けっこういたずらっこなことを告白します(笑) NOTEでも、話を面白くしようとして「いたずら」している感覚でコメントしています。でも、いいいたずらをするように心がけてます。レスポンスが目に見える形で評価されて、ドッキリウキウキです。
ので!記事より、コメントのほうが、僕らしいと思います!(笑)そのレスポンスを褒めていただき~さいこう!\(^o^)/
図書館が閉館で、インプットの太いパイプがなくなっていますが、だからこそ書ける記事もある。そう思わせていただきました。インプットアウトプットのバランスが難しいですが、これからもよろしく!sasaさん♪
_______________コメント終わり
長文orz
しかし、上の引用に応えるには、やっぱりそうなっちゃいますね。
sasaさんに興味を持つだけでなく、コメントしてみてよかったです。
さて、変わること、変えること、これは、なかなかいい視点なので、僕なりの持論を展開したいと思います。
35歳くらいの時から、すごい変わったと思います。自分。
彼女が障害者なんですが、そのメールをお互いに気持ちいいものにするために、労働のごとく手を変え品を変え頑張りました。実際、出会ったとき、ちょっと擦れてた彼女を、元通りなのか、すこし上品にできました^^
キスを嫌がるようになって・・・あ、のろけるnoteじゃなかった(;^_^A
この経験で、まあ、30代でもガラッと変われるんだな、って経験でした。
でも、変わることはぼくも不安です。体の感覚も変わりましたし、人生ってほんとに答えのないことが多いよな~と思います。
sasaさんのいう「変わる」は、なんだか、一生懸命、短期間で「変わることを目的にする」ような印象を受けてます。とてもつらいことと思います。
プライドも大事にして、自然に変わった自分に喜んでほしいです。
インプット、アウトプット、レスポンスのご意見は、「変わる」ための手段として発案したのではないかと思います。しかし、こちらは悪いこととは思わない。
毒親に関するsasaさんの記事を読んでいます。
変えたい人がいる、それには自分が変わらなきゃ、と思っておられる(変えたいのは親御さんかはわかりませんが)ように感じています。
そのトライを僕は、止めも応援もちょっとできないです。まあ、頑張られたら応援するかもしれませんし、ヤバげだったら止めるかもしれませんが、
sasaさんの人生なので、変わりたい、それはいいことかもしれません。
ただ、プライドなどを傷つけてまで(自尊心?自己肯定感?)は、変わってほしくないんです。傷ついてほしくない。
はい、優しい人発言(;^_^A
まあ、ほんと、ぼくが入る余地は認識できないのですが、「お友達」として、そう思いました。
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さてさて、ぼくものうのうとはしてられません。
明日の昼にメールが入り、在宅ワークのトライアル(採用試験?)です。
チャレンジできるときに、チャレンジする。すると変わらざるを得ないかもしれません。
sasaさんも、自分のプライドが高すぎると感じているようで、過去の自分を見るようです。ぼくもプライドを捨てて丸くなれた、安心を得られた面もあります。
sasaさんとぼく、あせらず、しかししっかりと、生きていけば自然と自分も周りも変化して、いい塩梅になるのではないか、と思った話でしょうか。
仏教の、諸行無常を思い出します。あきらめるのでなく、変わらないものごとはないのだから、執着しすぎず、生きていけばいいのかなと思います。
ちなみに諦念(ていねん・あきらめる念)という言葉も仏教にありますが、これはあきらめろという意味はないそうです。
まちがって使う坊さんもいそうなので注意したいですね。
執着しない、程度の意味だそうです。
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いやあ、きょうはsasaさんに褒められて、いっぱい書いてしまいました。
sasaさんは20代くらいだと思うのですが、来月37歳になる僕のメンツを立てるnote、終わりです(;^_^A
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!<(_ _)>
サポートはインプットのための読書や交通費に使わさせていただきます!