空気抵抗とエネルギー分配を踏まえた最適推力計画1/4


太陽の光がまぶしい。
レンガ造りの大きな建物一入り組み、各場所により高さがばらけているためおおよそになるが、一番高いところで 6階だろうか。正面、正門前は人工的に平らにされ、美しく舗装された小麦色の道が光を激しく反射している。
ベンチ、低木の木陰、建物や屋根の陰には若い学生があちこちにいる。
まるでこの国全体の希望を集めたように、若者たちの顔は輝き、そして聡い悩みを携える。

設計ミスだ。と彼女は晴れの日にはいつも感じていた。
ホームの中でも高山地域に位置したここは日射量が他の土地よりも多い。だのに舗装の材料に白い砂利材を使うなんて馬鹿げている。
あまりにもまぶしくて、隣で笑う友人の顔すら目が眩んで見えない。
想う彼女は、精悍な顔つきをしながらも、どこかやつれて、他よりもくすんだ肌色をしていた。

ここは最高学府、いわゆる大学と呼ばれている。若者に義務教育以上の専門知識をつける、もしくは論理的思考法を身につかせ社会に還する。そしてそれ以上に、それ持って研究を行い、新たな価値を創造する場所。
ここに集まっている学生はみな目的を持ち来ている。研究のため、社会に出た時の待遇を求めて、金持ち道楽のモラトリアム。
ホームで1番と言われる研究待遇を持つこの大学に、私は漠然とした目的でしか来ていなかった。むしろ、そんな意識でありながらも博士課程まで歩を進められている私自身、この大学に通う資格が十二分にあるという事も理解できている。
ただ、何かをなさねばならない。そんな焦燥感が私の中にあり、それが7年も私を大学に縛り付けていた。高校の同級生はすっかり社会人経験を積み、立派に働いている。
私は友人に微笑み返した。彼女の家はホームでもかなり上流の家系であり、若い間のたかが数年、そして莫大な学費はなんのハンデにもならないのだ。学費の莫大さも私にとってはの話だ。……あくまで本当に支払っていれば、の話だが。
ホームの社会はあらゆる微調整で成り立っている。子供であり大人でもある実のない私が突きつけられる柔らかな圧だ。目が眩むような気持ちは、それに揺らされていることの証左なのだろうか、それとも頭の使いすぎだろうか。
とにかく、今は何にしても忙しかった。



ーーー

私は今、ホームで唯一宇宙開発、研究、管理を行っている施設、カーサ(CASA)へ、取材のために訪れていた。普通は一般人が入れない場所だが、私が航空機周辺機器開発のためロケットの推力機構の実験、つまり打ち上げがしたいと要求した結果、実験の許可ではなく、こうなった。先生が特別に許可を取って下さったようだ。大学から大きく南に、大陸のほぼ南東に位置する半島にその施設はあった。周囲は農園と自然を謳う観光地、貿易の交流地点となっているこの場所で、アロハシャツの貿易商が露天でそれぞれの成果や儲け話を繰り広げている。もう秋も近いというのにまだ暑く、海沿いの吹き抜ける風がまだ救いとなった。北部の出身である私に、南の夏は少々堪える。

私は航空力学を専攻の1つにしている。今の世界の飛行機は100%電気とモーター推進によって稼働している。超小型大容量バッテリーの発明と、光の国の核融合施設、これらにより世界の全てで電気を安価に利用できるようになった。同様に大容量の電気を飛行機に搭載できるようになったことで、物を運ぶ飛行機が全て電気駆動のモーターに切り替わった。これでまた、世界はひとつエネルギー問題の課題を克服したように、思える流れなのだろう。
一般人は来ない場所なのでもちろんバスなどなく、タクシーで向かう。着いた先はコンクリートの壁が聳え立つ、正面から立つと広がる末端が見えないほど並べられ、囲まれていたが、その敷地の中に高い建物、円形城の天体望遠鏡、おそらくロケットの発射場が、壁よりはるか高く、そして遠くにそびえ立っていた。無機質でありながら目的と意思が感じられるこの施設は、この土地で見てきた穏やかな景色や人々からは遠ざけられ、隠されているように存在していた。

「こんにちは。今日はよろしくお願いします。」
私が挨拶をすると、案内役の方は気前よく返してくださった。まずは一通り施設内を説明を受けながら見学のために回る。その都度、もしくはその後、私の持ってきた質問に回答及び対話をお願いする。主に私が用意してきたのはロケットの燃料とエンジン機構及びその制御方法、軽量化、小型化、例えば進路方向の変更を前提とした実験は過去にないか、など……。推力の出力方法とその応用について。
今日の取材は"実験はできない"と先生から言われてるのだとは理解できる。なので優先順位をつけ、できるだけ簡潔にできるよう準備をしてきたが、窓の外はすっかり夕暮れになっていた。

「いやぁしかし、君みたいな子は本当に珍しい。ここはめったに見学者を入れないしね。君の先生のお願いではあったけど、普通は宇宙や、その開発に興味があるという人しか来ないからね。」
……もしかして、不快にさせてしまったのだろうか?多分、少し動揺した顔色を見せてしまったのだろう。すぐに向こうはあわてた顔をこちらに合わせた。
「いやごめん、本当に珍しい、という意味でね……。宇宙の話ってあまりホーム内でフューチャーされないだろう?だから……逆に、ふわふわしている子も偶にいて。むしろ君の熱心さには舌を巻いているんだよ。私がここで働いているからなんだろうけど、方向性が違うなと。えと……不愉快にさせたなら申し訳ないよ。」
「いえ、こちらこそ戸惑わせてしまい申し訳ございません。貴重なお時間を頂いているのは私なので。私は、あまり基礎学術を深めるという、重要性は理解していてもそちらに熱はあまり割けなくて。それよりもどういったものを作るか、それでどういう作用が生まれるか、と言う方に興味があるんです。今回の取材も私が専門にしている航空産業で、ホーム側で航空制御や安全面の機器やシステム構築がもっと伸ばせないかと。対空の面でエンジンの新しいアイディアを求めていたので。今の航空産業ではすべて電気駆動なので……。CASA様以外に電気駆動以外を使われている所ですと、興行のジェット・カー産業か、そうでないなら兵器になってしまうので、さすがに許可が……。」
「ああ……、なるほど。」苦笑。少なくとも状況はわかっていただけただろうか。先生は何と言って私をここに招待したのだろう。軽い説明は入っているのだと思っていた私が手を抜きすぎてしまったのだろうか。

「でも、やっぱり素晴らしいよ。君みたいな子がうちに来てくれたら、本当に助かるんだけどね。君も言ったけど、ここも同じで、ホームで宇宙産業が許されている場所がここ唯一だしね。色々と大変で。」どう?という様に、片目でウインクされた。少し皴の入った目じりからお茶目な星が見えた気がした。返答に困っていると、冗談!と。出されたものはすぐにひっくり返った。
夕暮れはあっという間に沈んだ。それだけが今いる季節が秋だと実感できる出来事だった。煌々と白いライトが各場所で光るCASAの施設にを背に、案内してくださった職員は満足げな笑みを浮かべ、私を見送って下さった。

タクシーに乗り込むと、すぐに街灯は少なくなり、どっぷりとした闇の中を車は進んでいく。後ろを何度か振り返ったが、その闇の中で光を絶やさないあの施設が、どれだけ遠ざかろうとも存在を絶やす事はなかった。



ーーー

「……はぁ。」
CASAの訪問後、いただいた情報を参考にしつつ、ヘリやドローンを製造するメーカーと商品開発の提携を組んでいただけることになった。これで無事次に進める……と、思ったが。設計段階で開発取りやめの令がホーム政府から下ったのだ。具体的には液体燃料の機構を使った高速射出、および高速3次元推進システムが"軍事利用"に該当すると。高速ゆえの危険性の否定のため、衝突実験、特殊塗装と外側の素材による衝撃を吸収することのデータの他、衝突回避のためのシステム、自壊機能、それらを提出する。正直、軍事利用と言われている意味がわからないが、何もせず引き下がるわけにもいかない。提携を組んでくださった会社方を鑑みても、面子を潰してしまうことにもなりかねない。ホームから「同様の返答」がくるごとに、別のデータを、改善してを繰り返すが、返答は変わらず……。さらに粘ろうとしたところで先生に止められ、先生のアドバイスで駆動の変更及びダウンスケールをしたところ、了承が下りた。提携先にはご迷惑をかけたことを詫び、なんとか企画は倒れずに済んでいる。
そんな私は今、不満そうな顔を隠さずに、研究室の椅子に寄りかかって、足を抱えて、許可の下りた仕様書を眺めている。

「お嬢さんがお行儀の悪いことしちゃダメよぉ。」朗らかな声が恰幅の良い腹から伸びてくる。姿は気のいい、よく忘れ物をする、アジア版サンタクロースといった性質的な佇まいがある。研究室の主である教授の声だ。隣の部屋が教授の部屋だが、たまにこうしてやってくる。
「今、私一人だからいいんです。」平日の昼下がり、他の研究室生は皆授業に行っていた。博士課程になるとカリキュラムも他とずれて、こういう時間も多い。
「今。僕が来たんだけどなあ。」手にはコーヒーのドリップボトルが。銀の光沢が一休みしようと言っているので、足を下すことにした。

「だいぶ不服そうだねぇ。」先生はお取り寄せしたかすていらを、コーヒーでちみちみとつついている。
「意味が分からないので。」私はとっくにカステラもコーヒーも食し終え、再び仕様書を眺めていた。
「でも社会に出たらこういうことばっかりだよ」
「大学に引きこもってる先生がそれを言わないでください。」
「あら、偏見の混ざった半分正論。」
「軍事利用、ってなんですか。どうしたらいたいけな学生が国と戦争始めないといけないんですか」
「ほら、ドローン飛ばして真下から光の国の飛行機にぶつけるとか。」
「避けて」
「言ってること滅茶苦茶……。」
外は太陽の光に満ちている。大学周辺には太陽の光を遮るようなものはない。しかし高山地帯に位置するここには、それよりも高い山岳が多くある。
「別に理不尽なんて、他の開発検討の案件でも体感してますよ。でも今回は理屈がおかしいです。どのデータを出しても軍事利用の可能性の一文だけでこっちの話を一つも聞かずに、……あれ、それで先生の話を聞いて……。先生、グルですか?」
「君が不服なのはわかるけどちょっと僕困っちゃうよ。いやあね。前にもそういうことがあったから」
「は?」
「お嬢さんがそんな言葉づかいをしてはいけません。」手を腰に当てて、ぷりぷり怒って見せている。おそらく掲げている仕様書の隙間から、ひどい顔で睨んでいたのだろう。
太陽が雲に隠れたのか、風が強くなったのか。窓から漏れる光がわずかに陰った。ここの空気は空調で管理されていて、外の様子は推し量れない。

「同じような案件で軍事利用って言われてね。いろいろ困っちゃって、他の既存製品と合わせる形で電気駆動にしたら通ったんだよねぇ。会社も違うし方向性も違うから行けると思ったんだけどなぁ。」
「えっ……そ、…………それは。グル………………」
「違うってば。ほら、眉間にそんなにシワ寄せないの。まだ若いんだから!しょうがないじゃない。動力を電気にしなければ製品として認められない、なんてどこにも書いてないんだから。」
「……。」しょうがない、ということは、本当にそうだろうか。
「謎解きをする気はないよ僕。でもねぇ、変だよねぇって気持ちはね、まぁねぇ…………。」

“動力を電気にしなければ製品として認められない”なんてことはもちろんない。確かに技術の発達により例を上げても少ないが、より爆発的なエネルギーを欲する事象は存在する。そもそも本当に禁止されているのなら、私が知る由もない知識になっているのが大前提。なぜこの研究室の件だけで2件も、同様の事案が?
「…………も~。また一人で考えこんじゃって。で、完気出た?」
「元気を出すための会話としてだいぶ不適切では?」
「元気になったね、よかった。じゃあ僕この後講義があるから、じゃあね」先生は自分の使った食器だけをひょいと持ち上げ、そそくさと立ち去って行った。
「あ、御馳走さまです。」
片手をひらひらとさせて、先生は去っていく。

要因が液体燃料とするのであれば。飛行機に限らず、核融合施設と超小型バッテリーの登場によって世界中の駆動系が有機的なものから電気に移行し、これは世界の温暖化問題を大きく止める一手になった。だからこそこの技術を祭り上げ、保護する理由はわかる。電気駆動の唯一の弱点は、パワーが他よりも弱い点。軍事利用……意味は分かるが、意味を大きく捉えすぎでは。そもそも誰と?1会社と1学徒がホームと戦ったって意味がない……ん?

「あ!」
先生が向かった講義、私も出席するものだ!


ーーー

季節は冬。
ここの地域で恵まれていた太陽の熱はすっかり奪われ、雪が冷たく、周囲から熱を奪い合い、その影響を受けているのは私も同様だった。
大学の古い寮は空気を温めても床が冷え、毛布にくるまりながら論文に起こすためのデータをまとめている。
……とはいえ、今の私の思考の中心を占めていたのは、そのことではなかった。

軍事利用、とは、光の国からの圧力なのではないか、ということだ。
ホームはあらゆる点で縛られている。それは光の国からの圧力だ。小、中、高ときてそれはあくまでぼんやりとした体感だったし、周りはそれを意識すらしていないようだった。しかし大学に来てみると明らかに意識が変わる。"光の国を超えないように"操作されているのだ。それに……ホーム全体の各大学の研究内容を調べると、探求される、研究を進めるべきもののはずがその内容薄い、つまりその学部が少ない、設置されてない分野がある。歴史、情報、IT……そして、宇宙。私がおおよそで把握したものなので、もしかしたらもっと多いのかもしれない。

私が専攻の1つとしている航空力学。いまホームと光の国間の貿易は電気飛行機が全て担っている。そして空中を飛ぶ彼らを人工衛星の位置確認システムによって指揮するのは、光の国の技術なのだ。そしてそれに従えば、光の国はいつだってホーム側の航空機を墜落させることができる。人工衛星は宇宙開発技術であり、ホームによる宇宙開発は意図的に……いや、表面上は見えないが、内部的には明らかにそうなっている。わざと遅れを取らされているのだ。

つまり、光の国に対しての武力的発想はどれだけ小さくても許さないという思想が、今回の出来事だったのではないか。
電気駆動も、環境への配慮と言えば聞こえはいいが、ほとんどすべてのエネルギー元を光の国に頼っている事にもなっている……。

そもそも私は光の国について何も知らない。条約の文章や、たまにマスコミが出す光の国特集なんてものでしか。パッと見た情報だけ見ると、いかにも”国民みんながそこそこ幸せに、そこそこ豊かにあることこそが幸せです”なんていいながら、時折マンチキン、いわゆるパワープレイをかまそうと殴ってくる奴らだ。隣国とはいえ気心なんか知れたもんじゃない、と私は思っている。

机の上に転がる500カエルラ硬貨を手に取る。銀と青のマーブル状の模様はどの硬貨にも同じ位置で混ざり合い、つややかな表面に彫刻のように掘られた女性の横顔は常に一定で、全く同じ形、厚みをしている。
つまり、つまり…………

「…………つっ!」
来た、また。
頭に激しい、落雷が落ちたような、響く、痛みが走る。椅子から落ちて叩きつけられる衝撃。
胃袋がせり上がり、30分前に食べたシーフードのカップラーメンが無駄になってしまった。
脳が痺れて体の神経にうまく信号を出せない。でも……。芋虫のように体を捩らせて、机の横の銀色に手を伸ばす。

   カシュッ

「………………、はぁ……。」
秋口くらいから、月に2~3回程度、体中が縮むような痛みが走るようになった。あまりの衝撃と痛みは、身動きが取れなくなるほどで、心配され様々な病院に連れていかれたが、身体の異常はなく、精神の薬はどれも効かなかった。病院だけではなく、自ら裏社会のものに手を出したが、駄目。
唯一効いたのは酒で、酒の酩酊が頭の衝撃を和らげるのかわからないけれど。手に持つ缶チューハイのアルコール度数表示を忌々しく見つめた。
発作が起きるのは夕方から夜にかけて、初めは通常どおり深夜まで研究室に籠っている時に起こってしまい、今日まで続いていることで友人や教授は目の付く場所にいてくれと言う。が、こんな姿を見せる情けなさも、後始末をさせるのもあまりにも申し訳ない。今日データをまとめて自室にいたのも、これが怖かったからで。それでも、大学にいまだ残してくれていることに感謝すべきで…………。

それより、この症状でもっと深刻な問題があった。金銭面だ。私は成績優秀者として入学金と学費の両方が免除されている。他の奨学金もわずかにある。しかしそれでも、生活するだけでもお金がかかった。
ごくごく一般的なホームの家庭では、家族で1人の子供を大学に出せればいい方だろう。少なくとも、私の家はそうではなかった。そもそもホームのごく平均的な収入から言っても子供を義務教育以上に上げるということがあまり想定されていない。物価も上がっている。逸脱人である私に金を使っていたら、弟妹たちの生活にも支障が出るのは明白だ。自分のためだけに行くのだと言い、お金を出すという両親を宥めた。
ではどうしていたのか。私の生活費はバイトで工面をしてきた。しかしこの発作が、学業を終了した後の空き時間に無差別で私を苦しめる。それで発生する迷惑を考えたら、とても続けることはできない。すべてやめてしまった。さらには病院代、裏社会の取引代金。予備の貯金も有限ではない。一度休学をして実家に帰り、体を治してから戻るのも考えた、のだが……。

「とりあえず、先ずは、片づけないと……。」


寮の小さな自室の中、ロフトベットの下に置かれている衣装ケース。ばきんとロックを解除して開けると、今は眠る冬着を奥にして、手前に一冊の本がある。本というにも、普通の本とは明らかに違う大きな表紙と重厚な分厚さは、子供が抱えたら倒れてしまいそうである。なぜこの本を本棚に入れないのか?というのは一目瞭然だ。もとは煌びやかな絵があったのだろうが、今は何度も手でこすられたことで印刷は掠れ、表紙のかどは繊維がはみ出ている。
彼女は本を手に抱えて、倒れた椅子を戻し、再び机に向かい座る。本を大切そうにそっと置き、ページを開く。
中には大きな挿絵と、その物語の説明。挿絵にはどこかの緑豊かな島、天使に手を引かれ、ふくよかに笑い風に吹かれる女性。昔の神話世界の話を再現した舞台の風景だった。子供向だが小学校中学年か高学年向けで、文字が大きい代わりに挿絵も、そして説明の文字量も多いためにここまでの分厚さになっている。小さいころに古本屋で見かけ、泣いて両親にねだったのを今でも覚えている。漢字を親に聞いたり、調べて必死に読み込み、弟や妹にも読んで聞かせた。本から見た景色に憧れて、実際に舞台に行けるようなお金はなかったけれど、映像を見たり、本を読んだり。大学に入って勉強とバイトばかりしていたせいで忘れていたけれど、私はこれが好きだったのだ。
ただただ美しいものに心をほころばせていた懐かしい記憶。

よし、と気合を入れたところで、スリープしてたパソコンを、キーボードを適当に叩いて起こす。画面には「仕事内容の入力」というページが上がっている。
バイトを辞めた時、あくまで発作の症状は一時的なものだと考えた私は、別の仕事を探すことにした。例えば在宅で完結する仕事のような……仕事時間は何時でもよく、かつ発作が作業中に起きても完遂には問題が起こらないものを。バイト程度の収入にはならなくても、ある程度の日月はしのげるように、そのくらいの気持ちで探し始めたのだ。
ホーム上には似たような考えを持つ人間が居て、そういう人たちと依頼主を繋げるプラットフォームとなるネットワーク上のサイトが存在する。そこで見つけたのが、「自分が作る動画の展開や、ネタを考えてほしい」というものだった。
今は様々な五感を使う大規模な娯楽も多いが、金銭面や、設備がある地域にアクセスできるのか、といった体験に向かうまでの条件が存在する。……舞台も、実際に足を運ぶとなればその要素が引っかかる。動画や音の要素をメインにしたものなど、アクセス媒体がネットワーク上のもの、根本的に安価で持ち運びが容易な本などのコンテンツは貧富地域問わず誰でも触れられる娯楽として人気があるし、個人が作るとしてもハードルがかなり低い。しかしどのような挑戦だとしても、"壁"というものは存在するわけで。こうして、金銭を払ってでも他者からの責任を持ったアイデアを欲する人というのは存在した。

やってみた本当のきっかけは好奇心でしかない。舞台なんて世界は憧れでしかなかったけれど、創作の一端に触れてみて、金銭ももらえるのなら悪くはないなと。最初の私の「アカウント」は信用度が低く、金銭報酬が高いものに応募してもその点で弾かれてしまう。言ってしまえば悪いが、その程度の相手であればという心のハードルの低さもあった。
最初に依頼を受けた相手の「作品」を見て、考察をし、アドバイス及び以降のネタ、構成の方針、その例(初めての依頼で、自分の意見が確実に正しいという自信も持てなかった。)を上げ、仕事は完了した。しばらくした後、依頼主の作品を見る。手前味噌ながら面白くなっている、気がする。閲覧数もゆっくりであるが増えている。そして私は依頼主から金銭と評価を貰い、こうして私の客観的な信用度、いわゆるサイト内で見える数値が増えていく。
このようなことを何度か繰り返すうちに、ある依頼主の動画が大きく広まった、所謂”バズ”である。この動画に私のアカウント名も載せて頂いていたことで、サイトを通して私に直接の依頼をしてくる人が出だしたのだ。
頭を使う仕事なので、1依頼の単価が上がることは非常にありがたかった。今やバイトをやっていた時よりも収入がある。依頼も動画関連だけに限らなくなっていた。心苦しくも断らなければいけない案件もあるほどだ。
分厚い舞台の本を衣装ケースに戻し、本棚にある、図書館から借りた「人を感動させる文章 ーシェイクスピアを完全解体ー」を引き抜いて、本を開き、依頼に取り掛かる。


「っ!……いたた……」
痛みが酔いの波を裂いて再び私を襲い、私はまた酒の網でそれを押さえつける。
はぁ、とため息。発作は最初のころよりも強く、波の幅は狭まっている。酒を飲んでいる間は落ち着く。このままではずっと酒を飲み続けていけなくなるのではないか。酒には強いため酔いの症状はほぼ意識できていないのだが、それは困る。水筒に酒でも仕込んで、常にちびちびたしなむようになってしまうのだろうか?いや、それは流石に…………。



ーーー

高山地帯はいまだ風が寒く、動物も植物も漸く、いいやまだまだといった様子である。私の生家はここよりも緯度が高く、この時期はまだまだ冬で、もっと寒い。周りは、今頃地元では桜が咲いていると言っているが、私は今一それに馴染んで応答することができない。
3月。大学は4月期と9月期の2つに分かれており、今日は4月期の生徒の卒業式である。無事博士論文を書き終えた私もその1席に加わっていた。変わらず「構成作家」の仕事は並行して続けている。そのお陰もあり、周りの一等の家から来ている仲間たちとも見劣らぬ振袖で臨むことができている。それどころか、家族に仕送りをすることすら今や可能になった。普通ならとっくに仕事をしている歳で、自分のためだけに遊び惚けていると言われても何も言い返せないでいた。最も、そんなことは誰も私に言わない、自問自答でしかない。博士課程に入って、そして発作の症状が出て以来、実家には帰れていない。
相変わらず顔色は良くなかったが、今日ばかりはプロのメイクアップアーティストにより完全に隠せていたし、僅かな酒の匂いは、ハレの日の香水と周りの祝杯により、誰も気づくはずもなかった。

「やあお疲れ様。実験をしている時とはすっかり違うね。いいお嬢さんだ。」
先生のところに向かえば、気前よく挨拶が飛んだ。おろしたてのスーツには皴がない。特にお腹周りは。
「先生のおかげです。大変お世話になりました。」
折り目正しくお辞儀をする。本心だ。先生がいなければ実験と生活の両立はできなかっただろう。……それに。
「大学には残らないんだってね。君ほどの人が居なくなるのは損失だよ。行先は決まってるのかい。」
「いえ、やりたいことができたので、しばらくはそれに専念したく。」
例の開発案件は滞りなく行われている。しかし私がいる間には完結しないため、すでに後輩に引継ぎを済ませてある。
「そうかい。あまり無理するんじゃないよ。何かあったら周りを頼りなさい。私でも構わないからね。」
「大丈夫です。お心遣いいただきありがとうございます。」
何のこともない恩師と学徒の会話。これがただのうわべだけである可能性も、周りからすればあるかもしれない。しかしこれが、様々な意味を含んだ空中戦であることは、当人たちにしかわからない。

先生は賢い。いや、この大学の教授陣は皆正しく賢い。だからこそ理解しているはずだ、光の国の横暴さに。ホームと光の国は対等であり、それらの受け口は正しく開かれている……と、なっている。私もたまに、光の国への旅行の話や、亡命をしたという話を学内の生徒から聞くことができた。光の国への旅行も、相当金がかかっただろう。富裕層と会えるここに居なければ聞くことはできなかったはず。だけれども、この生徒より長く生き、そして彼らよりも知恵のある教授陣ですら光の国についての情報は同じなのだ。間違いなく、光の国はホームの知識層を疎ましく思い、遠ざけ、余計な知恵を付けないようにしている。
恐らく先生と話すのも最後になるだろうが、この時にも私はそんなことを考えている。

「先生、私は……、私がしばらくの間やりたいことというのは、私がここで学んだ専門的な知識は直接的には関係がありません。ですがここで得たものは、私の一生の財産です。いつかその恩を還元できればと考えています。皆に、先生にも。」
「そうなのかい。そうしてくれたら嬉しいねぇ。なに、そんなに背負うことはないんだよ。君はまだ若く、僕は年老いた。人生は君だけのものだよ。」
じゃあね、僕はも少しやることがあるから。と先生は去っていく。私は礼をしたまま見送った。

ちらりと、激しい反射を一瞬感じた。雲の切れ間から細く、太陽の光が伸び、白砂利の地面に反射し、細やかな光があたり一帯に散らばったのだ。雲が気流に揺れると同じく光も蠢いた。まるで、白い桜が舞っているようだった。


───ああ。この時だけの自己満足の施工の時点で、やはり設計ミスなのだ。





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