まだまだ自由でありたい
ゴールも何もない文章。
漠然と「まだまだ・もっと自由でありたい」という気持ちがある。
今も十分自由な状態だけど、自由というのは「〜から解放された時」に一番強く感じるもの。
比較対象のない自由は、自由と認識しにくい。
例えば中学校の卒業式は、とても自由を感じた。
パワハラ、モラハラ、セクハラすぎる意味の分からない先生たちや、ヤンキー=偉い文化の謎の風潮から解放された時、とても嬉しかった。
大学を卒業した時も、自由を感じた。
「大学生」「教育学部の学生」というくくりから、就職もしていない「肩書きのない人」になれて、清々しかった。
自由は、何かから解放された時に、もっとも強く感じる。
もっと自由を感じるには、家にいない日(旅行の日)を増やしたり、夜まで出歩いたりするのが分かりやすいのかな。
自分を狭い場所に閉じ込めるのが苦手だ。空間としても、概念としても。
もっと散らかりながら、わけわからないな〜と思いながら、毎日忙しくしていたいな。
最近気付いた。私は、暇やゆったりした生活が、そこまで好きじゃない。
基本は忙しく活動して、たまに休んで、その休みの貴重さを感じる方がよっぽど好きだ。
私が好きなのは長い休みじゃなくて、「休みだ!やった!」という感覚である。
「何かに一生懸命な雰囲気」の方が好きなので、受験勉強とか、そういうのも嫌いではない。
人と競争した方が、精神的に充実もするし。
もう少し自由でありたいし、もう少し作業時間を増やして活動的になりたい。
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