日記 目に見えないもの
愛情とかそういう話じゃなくて、霊感とかエネルギーとかそういう話。わたしはわりと見えるというか感じやすい方なのかもしれない。
現代の言い方をすれば、HSPやら発達障害やら感覚過敏やら適応障害やらなんやらと名付けられるのかもしれない。見えないものを見やすい、聞きやすい、感じやすい、分かってしまう、そういう感じはある。
というのを占星術や数秘やらの、いわゆる命的な占いをすると見えてくる。自分は自分しか知らないので、とくに自覚することもなかったけども。
グレコンの時、ちょうど木星土星がネイタルのアセンダントに合だったんだよね。それが12月。思い当たる節はあるよねとても。
わたしは特に生理の時とせっくすの直後に「分かる」が高まる。いまとても好きな人がいてその人とのせっくすはとても幸せで満足だから、より力が高まっているような気がする。せっくす云々というより子宮で何かをキャッチしている感覚がある。そこは自分では触れないから、生理やせっくすを通して何かをやりとりしているのは、なんとなくイメージできる。
わたしはスピリチュアル的な知識はほとんど無いので分からないけど、チャクラとかいうやつは子宮に対応しているはずである。それもなんとく感覚として分かる。子宮で考えられるとは思わないが、子宮でキャッチして「わかる」時は多い。生理とせっくすはわたしにとって「わかる」のボーナスタイム。
どうしても話が通じない人はいる。それは日本語の話ではなくて、生きている階層の話である。わたしのイメージだと地球はいくつかの階層にわかれていて、一見同じエリアで暮らしていても、実は別の階層で暮らしている。階層が厳密にいくつあるかは分からないけど、明らかに違う階層で生きてる人がたくさんいる。お隣の階層、くらいの人にはたまに出会えるけれど、同じ階層で生きてる人にはめったに出会えない。
最近付き合い初めたとても好きな人はわたしのことを全部わかってる。会った次の瞬間には特殊なものを感じて頭がそれをわかってた。自分でも気付かない自分のことをなぜか分かっていて、自分が開花するために絶対に必要な人なんだなと分かる。
必要な出会いを前にすると自分ではその波に抗えなくなる。決定権がもはや自分自身にはなくて、宇宙任せ。諦めるしかないけど幸せってそうやって勝手になっていくものだと思う。
自分は現実世界においては別に取るに足らない平凡な人間である。だけど分かってしまうものがあるという点では、自分のことをどこか特別な人間だとも思ってしまう。せっかくだから自分の素質を磨いて、より自然に生きて、内在した能力を開花させていきたい。
そしてできるなら、同じ階層の話が通じる人とかかわりながら生きたい。階層の違う人と話したところで、同じ日本語を使ってるだけで話が通じているわけではないので、それは命を浪費しているような気がする。
命を集中させて意味のあることに使いたい。取捨選択は必要。自分の要素が薄まったりそぎおとされたりする物には慎重に対応した方がいい。もう少し心地よさを重視しよう。
世界は知識ではない。経験でもない。必要なのは成長でも変化ない。ただ分かることを受け取りながら自分がハマる場所におさまって呼吸するだけである。
大きいものに毒されてはいけない。自分の階層のルールで生きた方が良い。合わせちゃいけないとこまで合わせなくていい。今日も世界を狭くして自分と世界を強化する。神経が過敏であること、見えてしまうこと、わかってしまうこと。それを見逃す必要はなくて、せっかくなら活用しながら生きたい。と、思った。
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