全体的にだるいのです
スマホから打ってるのでミスが多いかも。
毎日眠かったり、イライラしてたり、お腹すいたり。
仕事したくないってわけじゃないけど、やれる仕事はかなり限られている。
苦手なことを直してまで何かをしようとは思わない。
だからって得意なことを伸ばそうとも思えない。、
自然状態で、ただひたすら空中に漂っていたい。
あんまりやる気がない。それは自分だけのせいじゃなくて、(いま思えば)あきらかに害悪だった先生だとか、環境だとか、常識ってやつを右往左往してる間に、まだ若いけれど疲れてしまったんだとおもう。
わたしたちの年代(MAXゆとり)は、めまぐるしい「現在」という混沌と、過去からの負の遺産と、よく分からない暗い時代を生きてきた。
こんな時代の産物が、わたしみたいな人間だと思う。やる気がないわけじゃないのに、表面上やる気がなくて、既存の価値観は全く気にならない人種。
少しアウトローに見えるけど、進む時代のを大きくとらえると、わたしは若者のスタンダードだ。
はびこる問題をゆるやかに詰め込むと、わたしみたいな人間になる。
何が悪いわけでもないし、わたしがわるいわけでもない。周りのせいでもないけれど、全て自己責任ってわけでもない。
無気力は無気力なりに生きればいいんだ、その道を見つけるんだって思うことが、当面の心のよりどころ。
特に大きな悩みもなく味方もいる生活。これを「幸せ」と名付けようと思えば、簡単に幸せと呼べる。
だけど私は、自然に「幸せです」とは言えない。不幸な訳じゃないけど、積極的に「これは幸せか?」と疑いにかかってる。
考えてもプラスにならないことを考えることに意味はないかもしれない。だけど、そもそも生きてることに意味はないので、プラスになることだって別に
意味はない。それはそれで一種の無駄である。
どの無駄を選ぶか?って問題だけど、「良い」とされてるものを選ぶ必要もない。「悪い」とされているものが流入してきたら、それを受け入れて、少し暗めに生きるのもアリだ。
幸せとか不幸とか、それを目指すか目指さないかとか、考えるのは好きだけど、特に意味はない。
意味はないのに生きてる理由は、生きてる意味がないなら死ぬ理由もないから。あえて死ぬのは、生きることに固執した結果だと思う。だから積極的に死ぬ気にはならない。
なにもしたくないけど、なにもしないってこともしたくない。結果的に「ねむいな」とか「だるいな」って言っちゃう。死んだら無限に眠れるんだけど。
誰かや何かへの文句じゃないよ。ただ純粋に、眠いしだるいのです。
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