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運命は、覚悟を殺す

私には、何が何でも結婚したいと思ってた人がいた。

大学2年生の終わりから社会人になりたての頃まで好きだった人がいた。

だけど色々なことが噛み合わなくて

どうしようもないほどタイミングがズレてて

ずっと好き同士だったのに

一度も正式に付き合うことなく関係を終わりにした。


ものすごく好きだったけど、ものすごく不快なことがたくさんあった。

イライラ、理解のできなさ、倫理観のおかしさ、責められる、矛盾、怒り、単純な悲しみ、未来の予測できなさ。

それらは時に、好きな気持ちを超えた。

それでも「この人と結婚するしかない」と信じたかった私は、何でもありだと覚悟を決めていた。

日本のどこでもついていく、海外転勤にもついていく、私の仕事・人生は二の次でいい、私はやりたいことを我慢して専業主婦をやっても良い、自分の家族には会えなくてもいい、他に女がいても仕方ない、好き同士だから大丈夫、大丈夫、、、、

そう思って、遠距離になってからも日本全国色々な場所に会いに行った。バイトでお金を貯めては会いに行った。教育実習の合間にも会いに行った。福岡、静岡、三重、もちろん千葉も。

グダグダ揉めながらも関係はしばらく続いた。思ったよりも長く続いた。「思ったよりも長く続いた」と思ってる時点で、その関係が永遠ではないことに、私は気づいていたのだろうか。

とにかく2年間は海の中に沈み込んでいる感じだった。(今思えば。)

それはその人だけのせいじゃない。もちろん私自身のあらゆる面が、そういった出来事を引き寄せただけ。責任は私にある。

そんな感じで「覚悟のもと」「未来を強引に変えるかのように」関係を続けていた。

だけど

あまりにも悲しいことを言われて

あまりにも悲しくなった。

ちょうどその瞬間

今の好きな人が現れて

「あ。」って理解して

強引に未来を変えるのをやめた。


私はずっと好きだった人に大きな嘘をついていた。

それは「未来が見える、あなたと結婚する未来が見える」という嘘。

私は(信じてもらえないかもしれないけれど)たまに未来が確実に見える瞬間がある。多分、経験や勘、思い込みの影響もあるのだろうけど、未来がパーっと見えることがある。

好きだった人と結婚する未来は、本当は見えなかった。

だけど結婚したかった。意地でしかない。だから「結婚するのだ」と自分に言い聞かせて、相手にも伝えていた。本当は見えていなかったのに、嘘ついた。どうしても結婚したかったから。見えない未来を実現させたかったから。

途中から、嘘ついたことさえ忘れていた。


だけど嘘は嘘。

嘘ついた本人が忘れていたとしても、嘘は嘘のまま。

叶うわけがないのだ。


本物の運命がやってきたとき

嘘ついたことを思い出した。

覚悟や思い込みでガチガチになっていた頭が

リセットされて

魔法が解けた。


何が言いたいのかというと、

運命みたいなものは最初から決まっている。

なかなか交わらない物を

無理やり繋げようとしたところで

糸は伸びすぎて切れてしまう。


未来は自分の手で切り開く!という人を否定するつもりはない。

ただ

自分の手で切り開くことを含めて、未来は決まっているのだと思う。

自分が「まさかの選択」をすることを含めて、未来は決まっているのだと思う。


どんなに強く願ったところで、抗えない運命がある。

_______

こんな文章を書いていたら、涙が出てきた。

好きだった人にもう気持ちはないし

私の心の中にいないのだけど、

その人を好きだった頃の自分は今の自分に繋がっている人間だ。

確実に、その人を好きだった「自分」は存在していた。

だから、過去の自分のことを考えて泣いているのだと思う。

この涙がどんな気持ちなのかは分からない。単純に悲しいというより、2年間頑張って生きてた自分への労いの涙って感じ。

好き同士なのに全くうまくいかない恋愛の中、進路に迷走したり、夜勤のバイトを頑張ってみたり、発達障害って判明したり、なんだか色々頑張ってたような気がする。自分のことを「頑張ってる」なんて思ったこと無いけど、振り返れば多分「生きること」を頑張ってた気がする。

運命というものが早めに降りてきてくれてよかった。

運命じゃ無いものをたくさん浴びたからこそ、どれが運命かすぐに分かった。

全部のことに感謝できて、何を思い出しても泣かなくなるその日まで。穏やかさを求めて平和に暮らしていきたい。今までの自分とは逆のものが大切になっている。無理やり頑張らなくていい。穏やかに、穏やかに、ものすごい情熱的な幸せはいらないから。ただただ穏やかに、苦しまず、無理をせずに生活していきたい。

そろそろ神様に許されたい。自分が幸せになることを、自分で許したい。

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