明けましておめでとうございます。


能登の震災、明るくなって地震による災害が明らかになるにつれ、街が壊れた映像は心が痛むなぁ。
オレは時々大学の頃の街の風景を思い出すことがある。今思えば、本当に当時は行動範囲が狭かったんだなぁと思う。まぁ金もなかったし、大学の南側なんてほとんど行ったことないし、是政駅を降りてすぐ南側に多摩川があることも最近になって知ったし、記憶は脈絡のないスナップショットのようで、まだ充分に成人になりきれていないオレにとって、当時見た風景のゆらめきがずっと死ぬまで残る。きっと大学卒業以後の自己形成のベースになっていたのだと思う。そんな、当時の風景を卒業してから時々確かめたくなることがあって、変わってしまった現在の風景と、記憶のなかにある風景との乖離に心は揺れるし、そこから心が重層化され詩が生まれる。阪神大震災や東日本大震災によってズタズタにされた街を見るにつけ、そこに住んでいた関わっていた人たちにとって、「風景飢餓」に襲われてしまうのは理解できる。災害前の街の風景や過去の街の風景を私たちは記憶の奥にしまい込んでいて、その風景こそが「メタ私」あるいは「メタ風景」なのだろう。
言葉もそうです。二歳から三歳頃の、視覚を言葉で表現できる前の、発声器官を動かして音声を発する。口唇と口腔の感覚を調整しながら言葉が形成されてゆく、その頃の言葉に「剥き出しの生」がある。制度化された言葉によるメッセージや意味に還元できない、余剰のようなものを含んでいるんだと思う。意味を持たない声だけの思考、アガンベンはそういう声には「意味ではない」からこその意味があり、そういう意味こそを問わなくてなならないと言う。長くなるからもうやめるけど、アウシュビッツで三歳くらいの「フルビネク」という幼児の「mass-klo(マッスクロ)」あるいは「matisklo(マティスクロ)と発した声のことを思い出す。まぁネットで調べればヒットするので調べてみたらいいです。言葉を誰にも教えられずに三歳までアウシュビッツで育った幼児の事例です。
朝から、そんなことを思いながら、スタバで読書をしていました。
今年もよろしくお願いします。

羽田、乗客乗員全員が脱出できてよかったです。しかし、新年早々、日本は壊れ始めたのかなぁ?

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