は、は、の、う、み「が、

はは、は、ゆばりの、のちにいる、(のです。エピローグはすでにうみ、を失い。

はは、は「のち」にいるのです。
遠州灘へ、すなわち、ははの「ゆばり」が、はは、に先立ち「のち」の「うみ」、を希釈する。
はは、のエピローグを開始するため、その背後に展開する胡乱な出来事が錯綜する。「うみ」、へ回帰するために、細く曲がる槙の木の道、のさきへ、防潮堤に遮られ、「うみ」、を失いました。「はは」のうみ、は生き残るにも生き残れずに、死んだテクスト、ふたたび、「ゆばり」の向かう「うみ」、は「はは」の唯一の出来事やエクリチュールの痕跡の「うみ」、同一の異なる「うみ」。
「はは」の「うみ」、は終わりからはじまり、その痕跡がいまも反復され続ける。

復元できない「うみ」、すでに死んだエクリチュール、生き残ることなく、「はは」のなかへ痕跡として死にさらされている。エクリチュールは書き直すことができずに、「はは」とともに、ことばさえ持たずに、いずれ消える「はは」のレシかもしれません。

差し伸べることがらなどなく、決して反復もない、書かれたものとは(生きたのも、生かされたもの(の喪失。書かれたもの、生かされたもの、へ陽炎の彼方で証言することしかできない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?