采の一振り

✅鏡のある都市、「テクストへあつめられる(わたし)は演出されるのだが、

外へ。自己への現前を求めようと内面への回帰は仮象のうちで演じられる。テクストは最後まで「ドラマ」のように演出されており、匣を復元しながら決着の際の稜ー現在形で表現される「わたし」ーは、統御の錯覚をもつ法でしか許されないだろう。

✅ふられた賽(采)、のへやへもどるしか並べられた人をつらぬく糸、へ
夜。迷路のような都会へ繰り出すはず、が采の一振りによってぼくの手形のなかに戻されるのだった。数えきれないほどの物語はすでに演技されていたのだ。こえの距離を測りながら、ひとの色を落とし込みながら、杖に凭れてぼくは、同じ驚きを覚えるのだった。

✅ぼくの代わりにぼくに置かれぼくを提示する装置(3Dプリンター)がぼくを数える

自らを広げようとして、装置にねじれが生じ、そこにいくつかの部品を補足する(接ぎ木)。折りたたむ面の内角に、対面の鏡へ映し出された「仮象=錯覚」のわたしを説明しようとすることばが、装置のなかに組み込まれ包囲され、テクストの再帰へと引きずり込まれてゆく。

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