円柱(アペイロン)、ことばによってつくられた、うみのように


高さにおいて食べきれず、拡がりにおいて泳げない。唯一の数えきれない現在が目であるように、反復されず単位をもたない。 
ありがとう。
おお、いくつかの道よ、いくつかの扉よ、わたしは、あなたがたを産んだ。そして、あなたがたはわたしを産んだ。けれども、何の役にもたたないテクストに、限りない時の流れは、限りない恥辱をあらわした。同一の数が、お互いを数えるのとは異なり、刃先同士をあわせてはこぼれてしまう。些細なことから留守番の犬が、無比の他のものでもありえぬ数のように、破れてはみ出した腑(はらわた)を、彼は誰時(かわたれどき)に喰らっては、妻を、母を、わたしを産むよ。ただし、口にするのは好ましくなく、生温かい精液を啜ることになる。自然科学的には、みずとみずとの、あるいは火と火の戯れである。わたしは同時に多者であって、多者はわたしなのである。心許ない円柱=テクストは、落とされる寸前の記憶がポッカリと失われる。ならば、わたしが落とすよ。

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