見出し画像

ちいさなとりのはなし

 悲しいお話ではありません。再びとりさんをお迎えしたいきさつと心境を書きました。

-----

 元から自由に生きることを制限されているとは思う。人間もだけれど、愛玩用の生き物はさらにそうだ。

 6年一緒にいてくれた全身黄色のルチノーの子。お別れをしてから、まだそう日も経っていない。悲しみの大波はゆるやかに引いていったが、ふとした瞬間に込み上げる。

 決め手は、同居人に「自分はもう100歳近くで長くはない、もう一度とりに会わせてくれ」と頭を下げられたことだった。

 わたしは、あの子がいなくなってしまったときに「もう人間の勝手で生き物をかうのはやめましょう」と言った。感情的になって強めに言ってしまった。自分と同じようにショックを受けているひとに対して申し訳ない言いようをしてしまったが、それは紛れもない本心である。
 つまり、今後また新しく別の子を飼うことには反対の立場だった。

 ただ、家人たちの空気がやはりどこか胸に穴が空いたようで寂しい、といった感じで、先日ついに「自分(らぼ)の気持ちが落ち着いてから答えを出してもらえばいい、できればまたとりさんをお迎えしたい」と言われたのだった。

 (現実的に考えて)残りのいのちの時間が少ない人間に、日々の楽しみや張り合いは必要だと思う。特に何かしら人を集めて活動するのが好きなひとには、この感染症の外出規制もきつかったろう。うちのご老体はそういうタイプだ。

 天秤にかけたわけではない。新しく別の子が来ることで、前のルチノーのとりさんのことを忘れることにはならない。毎日、ちいさなお墓に手を合わせている。
 この子は新しい思い出をくれる子。この子はおそらく、高齢の同居人にとって、最後の子。そう考えることにした。

 わたしたち人間にできるのは、少しでも・少しずつ、異種族である互いの信頼関係を築くこと。ご飯を食べてもらい、なでなでカキカキでうとうとリラックスしてもらい、ここは安心できる場所だと知ってもらうこと。この子の特性を理解し、それに合わせること。そして、ぜったいに不行き届きで苦しく嫌な思いをさせたり、しなせないこと。

 この子は、ちょっとカラーが自創作のコニーという登場人物に似ています。甘えん坊な性格で、オスかメスかはまだわからない。日々どんどん大きくなっています。

 成鳥にみえるけれど、まだ生後2ヶ月も経っていなくて、飛ぶ練習をしたり、ほんの数センチの距離でもジャンプするのをためらっている。新しい環境にはまあまあ慣れたようで、安心して身を委ねてくれるようになった。ごはんも今日、自力で食べるようになった。

 皆で毎日声をかけて、遊んだり撫で撫でしたり、変わりがないかチェックしている。とりもストレスなく生きて、人間も生活が楽しくなれれば、win-winだと思うことに、した。せめてこの子も人間もひとしく穏やかに過ごせるように。一緒に生きていこうね、と声をかけた。とりさんは、まあるい目で首をかしげていた。