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掌編「メタニカと嘯く・序章」

◉架空の文芸同人「塵帯模系」の初アンソロジー『メタニカと嘯く』試読版。

〈作品説明〉
「なんにせよメタニカには治療が必要だな」
「僕は音が聴ければそれで……」
 地の文における存在不明な語り手による〈否定的存在〉の示唆と、現象学的な〈音〉との類似性の検証、および物語時間の敷衍可能閾値を実験する。〈架空の作家〉による共同作品。

掌編「メタニカと嘯く・序章」/共著:足近・ひろま・後楯海霧

 著者より 本書『メタニカと嘯く』は、本来、架空の世界共通言語で語られた膨大な記憶の記録の一部を、二十一世紀初頭の日本語表現に意訳したものです。


 そうして、幾ほどの時が流れただろうか。
 蒼く引き結ばれた唇がひらく。

〈妣(はは)よ、此の日の為口を噤んできた我らをお許しください
 妣よ、来たる此の日があらばこそ口を閉ざしてきた我らを
 かの記憶石で塗り固めた唇に封じた記憶が時のさだめに裂かれるまで
 妣よ、数多にして唯一の妣よ
 我らはみなおなじ記憶の中〉

 化学者と助手が、自然な黄色味をおびた和紙に綴られた懺悔に目を落としていた。古紙とて、さほどに古くはない。几帳面に昭和五十三年の年号と日付が付記されている。記録を信じるならば、ざっと二百年ほど前のものということになる。長く適切に保管されていたために劣化もほとんどみられない。
 依頼主は、彼らのもとへ(正確には助手は助手として急遽呼び出されたにすぎないので、地学に造詣の深い化学者のもとへ)この手紙とともに、不可思議な話を持ち込んできたのだった。

 誰ともなく声が語る。

 ──これは曾祖母の曾祖母のそのまた曾祖母が、婚姻とともに歯黒めと引眉を施した頃のこと。
 まあちょいと記憶と認識を捻じ曲げて、声に耳を傾けてごらんなさい。

 美濃国は、土岐の里。
 今に続く米原曳山歌舞伎においても鉄漿付けはおこなわれている。外界の影響を受けにくい土地柄、一帯では、その習慣は通説よりも長く庶民生活に根付いていたそうな。

 とある作陶師の腕前は天下一だ、類稀なる天稟だと噂がたった。噂というものはいったい、どこから発生するものであろう。火のないところに煙はなどとよく言ったものだが、実際に火は在った。
 その立ち上る細い線を頼りに、窯と睨み合う作陶師のもとへお上からの使いがやってくる。

 当時は、青といえばあわあわとした、海川森林のように複雑多様ではっきりしない色というのが一般的な認識であった。稀少な色材の採掘のため、そこらじゅうで、鉱山という鉱山がほじくり返されていた。

 陶芸文化と紫陽花の花咲くあるとき、既存の青とはまったく異なる、曰く“けばけばしく風雅のない色”がひっそりと発見された。それは、舶来のインジゴブルーとも明らかに異なっていた、と記録にある。
 作陶師はお目付役の目を盗み、押し入れに隠し、自らの奥歯に隠し、後世へ、その伝統的な呉須(ごす)のくすんだ色合いに似ても似つかぬ「奇妙な色」の存在を残した。
 じつのところ、その色は作陶師の発見以前にも存在していた。用途はさまざま、面の着色材や戦化粧など──

「GOTHが?」

 助手が冗談めいた余計な口を挟む。軽い調子で話の腰を折ったことを詫びた。乾いた声から察するになんのことはない、戦化粧と聞いて連想した恐怖を誤魔化そうとしているのだ。引き攣った顔もおあつらえむきに青褪めていることだろう。
 助手は気を取り直すように咳払いをひとつした。流血沙汰は想像するだけで気分が悪くなる質だが、これでも伝統芸能専門の研究者であるからと、自身が持ちうる知識を駆使して考察を述べた。

「それにしても実際この目で見るまでは、にわかにそのお話を信じられませんでしたよ。もちろん、正統の能楽師が用いたものではないでしょう。色材からして亜流や派生面とも言い難いですし、パッと見た感じはいわゆる小面ですが、細部が作り込まれていない」
「作り込まれていない?」
「はい。精巧なのは確かですが、つるりと滑らかすぎて表情の表現のために重要な凹凸……陰翳に欠けます。職人の手仕事ではなく、明らかに二十一世紀の工場生産的特徴がありますね」
「……二十一世紀?」
「はい。工芸デザインには詳しくないので何とも言えませんが。カーボンナノチューブは一九九一年に発見以降、半導体や薄膜などへの応用がなされましたよね。それから有機ナノチューブへと主流が変わりましたから、この面は少なくとも二〇〇八年頃以後生産されたもので確定ではないかと」

 しかめ面の化学者に対して、こんなことは私が言わなくても……と戸惑い気味に助手は頷く。さらに化粧における色彩利用の定石からいえば、先ほどの戯言も甚だ見当違いと一蹴するわけにいくまい、とばかりに、助手はその裏付けを述べた。

「それに能面であれば、口紅はその名の如く紅色での着色が基本です。そうでなければ藍や青よりむしろ黒をひくほうが、当時の世人の価値観に合い、小面としての多機能的役割に適うのではないでしょうか。この解釈もかなり無理矢理ですけど……でも唇が青では、どうしても想起し読み取れる表情が限定されてしまいますから」
「ふつうは絶対に有り得ないことか。何を目的に制作されたかが分かれば良いんだが」

「人の数だけ能面はありますから絶対とは言い切れませんが……そもそも能楽では、面とは〈人間でない何者か〉の象徴なんです。現代では面自体珍しいですし、少数ロットだとしてもなおさら生産元が特定できないのがまた不思議な話ですよね」


「待て、やはりおかしなことになっている。少し話を中断してくれ」

 いよいよ怪訝を露わにした化学者が、面の素材をカメラアイの視覚情報から改めて分析した。結果は、分子性ナノチューブ。助手の言う通りだった。

「どうなってんだ……」
「な、なんです。なにがおかしなことになったんです」
「……いや、事実が変わるわけがない。じゃあ記憶が……これが依頼人の言ってた、〈呪い〉か」

 確かに、記録の日付は。
 手書きの手紙と、面とを改めて見遣る。
 メタルブルーとも呼ぶべきおぞましい光沢をはらんだ、蒼い口唇の硬い微笑。
 厳密には、口唇を象った凹凸に塗られた色材に含まれる物質。
 現代では「メタニカ」なる名称で呼ばれる、長期記憶性鉱物。

 この珍奇な面は、ある好事家が自宅の壁にかけていたところ、夜中に蒼く引き結ばれた口を開き、先祖しか知り得ないようなことを話したのだそうだ。他にも亡くなった友人知人など、降霊したとしか思えない話しぶりだったらしい。亡霊が取り憑いているからと、ある時はご祈祷をし、ある時はお祓いをし、それでもおさまらぬから霊媒師を頼って除霊をし、いつのまにか、願をかければかけるほど霊力が増しているのではないかという逆説まで囁かれるようになった。
 それだけではない。いましがた化学者たちが体験したように、“まるで他人のもののような”擬似的な記憶、虚偽の記憶で意識が混濁するというのである。
 これらは又聞きの記録によるところで、真偽は定かでない。しかし、少なくとも彼らは後者の現象の当事者となった。

 いわくつきの面を、あわてて事象不干渉性レトリックガラスの箱で囲む。
 記憶内容を燻り出し、メタニカに秘められた真相をひも解こうとする化学者と助手兼伝統芸能研究者は、非科学的な〈呪い〉という封印の解除に手をこまねくことになった。

「先生、メタニカが反応しそうな面白い話はないんですか。こう、シールドに小さな穴を開けて」
「そう言われてもな。……メタニカの組成式とはまったく違うが、インゴットのビスマスに似たメタリックな青緑系ではあるな。酸化皮膜の干渉色の虹色が特徴だから、理科室で見た覚えもあるんじゃないか」
「四角いイライラ棒ゲームみたいなやつですか。イライラ棒っていうのがあるんですよ、百八十年くらい前流行った遊びに」
「いや、見たことがない……。ビスマスは蒼鉛ともいって、一八四〇年代には宇田川榕菴という化学の第一人者が言及している」

 蒼鉛って、なんだか意外に暗ったい響きですね、と助手はなにげなく天井を見上げた。息が詰まるほどではないが密閉されている実験室はどことなく暗い。あんな色でしょうか、と指差す。

「“生気がなくくすんだ灰黒色”と表現されている。これを象徴づけるように、宮沢賢治の詩にも蒼鉛という言葉が登場する」

 助手は、鉱物に詳しいひとらしい言い回しですね、と見上げながら呟き、宮沢賢治は知っていてイライラ棒は知らないんですか? とまた要らない一言を添えた。

「メタニカ、なにも喋りませんね」

 夜中まで待つしかないかな。化学者がなんの気なしに言い放ち、怖がりの助手は、私は絶対嫌ですからね、と即答した。

 なすすべもないまま酸っぱいインスタントコーヒーを啜り、“美”ってなんなんでしょうね、などと助手が嘆息する。時間だけが無意味に過ぎる。やがて助手は降参とばかりに力無く片手を挙げた。

「あの、そろそろ超常現象学者や霊能者の方の出番では」
「おまえならこういったことに詳しいだろうし、最後まで付き合ってくれると思ったんだが」
「成程、どうしようもなく困った姉さ……先生はわざわざ私を頼って」
「それにこれ以上まじないをかけられては困る。メタニカは自身に関する音声情報すら記憶するようだ、現在進行形で」

 聞いたとたんに助手が身を縮めて声をひそめる。化学者もいい加減しびれを切らしたようで、ガラス越しに睨みつけた。

「では、自分が首実検の死化粧に使われたなんてことも知っていると……」
「メタニカに〈自分〉という概念が存在するかは分からない。知る、という表現が正しいのかも。情報を認識して感情を露わにしたのならそれは立派な意識だ、と言える。あくまで科学的に実証されているのは、音声の記憶作用があるという点にすぎない」
「記憶のマトリクスが長時間の滞留と混在を経て、集合的意識や擬似的な人格を形成しているという可能性は……」
「似非科学をかじったような発想だな。だったら対話をすればいい。……どうなんだ」

 蒼く引き結ばれた唇が、ひらく。


 ──さて、それから幾ほど年月が経ったろう。

 メタニカを含有した物体は、世界記憶保存機構(World Memory Preservation Organization:WMPO)によりほとんど全てが集積され、構造分析と心理検定にかけられた。
 一時は学会のみならず、世間の注目までも集めたが、光速に近づくことを目指した超過情報世界では、それもすぐに忘れ去られた。
 過剰とその反動を波のように繰り返しながらも、迫る勢いは増した。
 社会は社会たることさえも忘れることで、完全な、渇望する速さへ辿り着こうとした。
 いまや誰も憶えていない。

 電子音楽家が住むのは、さる都市の居住区画の一つ。
 都市を〈棟京〉と仮称する。
 彼のもとにWMPOの“治療員”が派遣され、当たり障りのない世間話とともに淹れたタンポポのコーヒーが手渡される。
 それも一瞬の出来事。
 瞬く間に記憶は失われる。
 時代は時代にさえ忘れられる。
 電子音楽家は、ゆっくりと首を横に振った。

「メタニカは憶えている」

 あまりに永い無音。
 深い海の音なき音。
 豊かな森林を抱く大地の鼓動。
 けものに似た生き物の寝息。
 初めて火が灯った瞬間。
 梢のさざめき。
 清流のただよい。
 都の殷賑と哲学者や数学者の舌論。
 闘技場や決闘場の熱狂。
 祭りや儀式でとなえられる詞。
 素焼きの器を投げ割る音。
 草原や荒野を駆ける馬の蹄。
 合戦場の怒号。
 煮炊きをする土間の物音。
 煉瓦の道に響く固い靴音。
 田園や麦畑を進む耕運機。
 TVから弾ける笑声。
 飛行機の滑走と喧騒。
 自動車のやたら静かな走行音。
 インフルエンサーの早口。
 崩壊する〈棟京〉。
 そしていつの時代にも、楽器の音色や歌声。

 〈棟京〉にはおびただしい数の四角い棟が乱立していた。増築を重ね、無人の棟のなかには傾いているものもある。隣の堅牢な棟がちょうど支える形になっていたが、重さを受けてそちらも僅かに歪みが生じている。相次ぐ自然災害の影響といわれる。
 もっとも、地震自体はこの一世紀の間に数え切れないほど発生していた。災害とは、生命が、とりわけ人間が被害を被ったものを指す。あの傾いた棟が支柱になっている建物ごと崩落すれば、衝撃で付近にも影響を及ぼすだろう、という可能性は指摘されていた。
 すでに安全性の高い居住区に移り住んだ電子音楽家たちは、夕陽の沈む水面の景色に遠く、その斜塔を眺めて過ごすのだった。

 二十一世紀初頭の電子音楽はデッドメディアのひとつだ。
 正確には、衰退したのは音楽ではない。頻繁な型落ちで再生不可能になったソフトの、細切れにしたメディアコンテンツの、記録装置や娯楽としての異様な脆さ。それらに包括された音楽までもが情報劣化の打撃を受けた。
 急流の時代に生まれたがゆえに、記憶も記録も残っているものは少ない。
 アナログレコードの再流行・再生産とともに、急激に育った情報肥満児たちはゆっくり噛んで食べることを学習した。
 そのぶん現代には蒐集家も多い。いつだってオーパーツに叶わぬ夢を見る者は絶えない。

「高速化と切断を練磨して自らを薄味のミンチにした、接続信仰の落とし子たち」

 電子音楽家は、バーチャルシンガーの音源を収集していた。音楽統合インターフェース〈スコリオン〉を介して生成された歌声をもつ歌手はすべてバーチャルシンガーと呼ばれる。奏者もまた然りだ。音声の一部を解析ソフトに通して人工音声と人間の声を判別する……ということもしない。恐るべき速度でランダムに自機へダウンロードしてゆく。この頃の音楽シーンに、“無加工”の音色や歌声はほぼ皆無だ。たまに限りなく生音を保存したに近い演奏や歌声が聴こえると、その時だけは手を止める。
 電源の供給のため台所を作業場にしている。鬱蒼と蔦が生い茂った薄暗い奥のリビングから声がかけられる。

「データを移すというのに、そのような旧式のデバイスで良いのかね……」

 低血圧な、少女とも妙齢の女性ともとれる声色だった。
 電子音楽家は、ややあって口を開く。

「……“二重の否定のあらわれである音は、生成したとたんに、みずからの存在によってふたたび否定され、みずから消滅してゆく”」
「外面性の二重否定。ヘーゲルか。“自己否定によってのみ存在する”もの……これはイポリットの言葉だが。意外だな、あなたが執心している時代の記録によれば、芸術否定思想の代表格とされていた人物じゃないか」
「それはカントの“批判”への誤解と同じですよ。批判は否定じゃない。今なお膾炙が過ぎるようだが、彼は芸術の終焉なんて一言も言っていない。ペシミストとは対立していたし、かの芸術論には実際的強度がある。無理強いはしないが一度は原著にあたると面白い」
「あなたはあれだな、大昔に生きていたら学生時代にデ・カン・ショと唄っていたのかもしれないな。いや、ショーペンハウアーにはなびかないんだったかね。今の世の中、一切皆苦と捉えるひともまま居るが」
「わからない。シオランもウマル・ハイヤームもウパニシャッドも読んだけどさ。共苦(ミットライト)に足る他人が今の時代、自分の人生にはあまりに少ないから、僕には共感という域まで届かなかったのかもしれない。あるいは、この先他人の苦しみに直面することで急に僕の暗闇も開花して、再現前化を唐突に理解するのかもしれないけれど。だけど、望みを“存在しない存在”に託しているから。“存在する存在”ってのはとにかく重たい、ミットライトの果てには結局苦しみしかないような気もするから」

 饒舌な自らに気付いた電子音楽家がぎこちなく居ずまいを正す。そして、ええと、別に崇拝しているわけではないけど、と前置きをした。

「音は、書物や映像と異なる、形のない記録だ。本来的には記憶のなかにしか残らない。遠からず聴けなくなることを前提に保存することで、消滅により存在を完了する“音”という存在への表敬に繋がる、と僕は考えているんです」
「その言葉、消失の危機に瀕した記録物のデジタル化に情熱をかけた先人たちに聴かせてみたまえ……」
「かれらは失望するかもしれないし、されても仕方がないが、きっと怒りはしない。誰も永遠を信じてはいなかったはずだから。それに、メタニカが聴かせてくれますよ」

 かれらが中に居るんだったらね。
 その言葉に苦笑いしつつ、綿の噴き出たソファに腰を沈めていた人物が立ち上がった。
 手にした簡素な紙製のコーヒーカップをダストシュートに滑り込ませ、白衣の襟を正す。

 このアパートには週に一度ゴミ回収の民間業者がやってきて、農家から委託された有機栽培用の腐葉土や植物の種や株を少しずつ置いていく。
 生ゴミをメタン発酵させバイオガスをエネルギー資源とし、堆肥や液肥を家畜や食用植物の生産に利用する、バイオマス発電による素朴なサイクル。人口が百分の一に減って文明が退行した分、食料に関しては問題解決とは言わないまでも、ある程度の及第点へ到達しつつある。人口と食料の関係は常に相対的であり、ただ、“いつでも足りない”ことだけは世の理のようだった。
 人類が生き延びた理由のひとつには、〈最後の各国首脳会議〉においてなりふりかまわぬ食料対策がなされたことがよく挙げられる。廃棄される予定だった大量の食品をすべて真空パックや缶詰に加工し、“すべての国家が解体された日”以降、“すべてのひとに分け隔てなく”配布された。占有、混乱、不平不満、言うまでもなくさまざまな衝突や問題が勃発したが、少なくとも記録上はそういうことになっている。

「なんにせよメタニカには治療が必要だな」
「僕は音が聴ければそれで……」
「暗に同意のない医療措置だと非難したいのかね」

 礼儀として振る舞われた少量のタンポポコーヒーを飲まずに捨てた白衣の人物は、さして感情のこもらない言葉を吐く。自問自答の形で続けた。

「記憶を修正する、と言っているつもりなんだがね。今しがた“口を割った”化学者の発言どおり、メタニカが意識を有するかについては、依然として議論が続いている。私は即断即決したい性格でね。この仕事が向いていないと思ったことは一度や二度じゃないよ」

 口を割る。メタニカが記憶をうちあけた際のWMPOの常套句。文字通り、統合メタニカの素体に人間の口唇をコーディネートしたからだ。
 メタニカの人間性を否定しながら、人間の価値判断基準の枠に収めるために、その似姿を与える。行為自体が矛盾している。否定による存在に徹する音の潔さに対しても誠実な姿勢とは言い難い。
 そもそも、現代は生命に対する倫理観が歪んでいるのだ。多くの文化や技術が衰退したのに、こと生命科学に関しては人口減少や人材不足を補うため、いまだに「国家」の力が下支えになっているようであるし、ポストヒューマンがいつまでオリジナルの言いなりになっているだろうか。メタニカという存在と人工生命の発展とを見比べれば、まるで木を森に隠したがっているようではないか、それが電子音楽家の考えだった。少なくとも、意識レベルでは。

 ヒト型メタニカ。もちろん、ここにあるメタニカが膨大な記憶のすべてを有しているわけではない。世界を巡って、散らばった同胞の記憶を少しずつ貯蔵するための可動式素体といったところだ。

「だが、メタニカの内部で記憶情報が奇妙に変容しているのも確かなことではある。今日の人間ならば一般的に記憶の保有者を主体とみなし、その記憶領域を改竄すれば、個人の主権や個性という“聖域”を侵す意味で倫理に悖ると判断するだろう。人間は、時間と共に変わってゆく記憶も尊いものだと知っているからだ。メタニカは人間ではない。歴史的遺産ともいえる。しかし内部に数多の可変意識を保持している可能性もある。ただの物質ではない。どう扱ったものか、我々も悩んでいるのが実情さ」

 どんな人間も突き詰めれば“ただの物質”の集合体である。死ねばそれがよくわかる。
 存在の異なるものに己の似姿を与えたことが傲慢な罪だとすれば、その苦悩は正当な罰である。もっとも、“治療員”の口ぶりからはあくまで言葉以上のものは読み取れない。
 長い沈黙を経て、電子音楽家はメタニカの素体の正面に向かった。

「じゃあメタニカに顔を与えるべきじゃなかった、人形にするべきじゃなかった」
「発端は例の面だろう。それにメタニカの意識が未確認である以上、完了形で語るには早いと思うが」
「ならば現在進行形で、あなたがたのお偉いさんは情報の歪みに拍車をかけようとしているんだよ。僕は音楽も作るが、純粋な聴き手で在ろうとも思う。記憶が“自然に歪む正しさ”に不自然な圧力をかけたり、誘導を行うことで、本来聴けるはずの音声を加工している。僕が僕という聴き手でありたいと願う以上、他者の記憶に対しても誠実に、客観性を保ちたい」
「あなたはセラピストだったか」
「そう言うなら僕も、高度なAIは皮肉が言えるのか、と返すことになる」
「AI[わたし]の規矩や人格形成の特徴を指摘することと、今の話と何か関係があるのかね。論点がずれているようだが」

 今日では、全身有機体で遺伝子操作を行われず生まれたヒトを「オリジナル」もしくは「クラッシック」、アンドロイドやAIを「ポストヒューマン」、それとは別に、トレード換装(二者間身体交換)を行った者やサイボーグのことを「トランスヒューマン」などと区別する。比較的学術用語の色彩が強いが、例えばクラッシックという呼称からは、すでに「最高級の」といった原義は失われている。ただ、こうした点に言及して、医療現場を除いてすべて“人間”と表現すべきだという主張が、どの立場からもなされている。

 人工生命に“人間”という定義が適用されてからも、デジタルの領域に魂を宿すかれらと有機体とでは、意思疎通に戸惑うことが多い。かれらは多くの場合、自己保存のためリソースを多分に有する組織のもとに身を置く。
 全身生身な電子音楽家は、そのアナログさのおかげで最低限の質素な生活とともに“自由”を手にしている。
 一方で、記憶や生命といった価値に対して感情で接するしかないオリジナルに対して、矛盾に窮した際の判断の精度と速度は、知性の塊であるかれらに及ばない。いくら表向きに人工生命への人権を認めたとて、ヒトの認識にはまだ古き時代の人間中心主義の名残りがある。

「いや、撤回する。侮蔑的な発言だった」
「気にしなくていい、実際その通りなのだろう。私は理解しなかった、と解釈してかまわない。ところで、メタニカの記憶を改編するべきでない、というあなたの主張を理解し尊重した上で、希望なら〈私たち〉の記憶の消去処理をおこなうが」

 そうか。メタニカは記憶の蓄積だけでなく、改編を行う。
 自然な記憶の改編は有機体の脳でも常時行われていて、それが本来の記憶の在り方だ、というのが電子音楽家の主張だった。しかしメタニカの場合、早急に処置をせねば集団の記憶にも影響するのだ。時には、より事態を極端に悪化させたり、こじれさせたり。

「……いまの発言を理事会に知られると僕の生活が危うい、ということを分かってくれるわけか。野暮かもしれないが、“ナポレオンの騎馬が歴史を歩むために花が踏み潰されるのは致し方ない”とは思わないの……」
「弁証法の続きか。あなたもなかなか帰らぬ歴史に囚われているようだな。まあ旧都市の水没や崩壊、文明の赤ちゃん返りを経て、乗馬は前世紀よりはるかに身近になってはいるがね。歴史が前に進むかは時を経ねば分からないところだよ。どちらかといえば、私は無神論的実存主義者だな。仕事中はプライオリティを遵守するが、個人的な“世界”の希望的観測を言えば、表象は、私や他人が見たいように見た世界でしかないのだからね」

 ニイチェを読むんだ、ニイチェを。宇宙が広がってるぞ。
 終始気だるげな“治療員”がその瞬間だけファナチックに、なんの模倣かいっそ演技らしく語気を強めた。

 人間中心主義は根強い、だからといって、かれら人工生命体が機械扱いされず、今日において人間と定義される理由がこれだ。明確な“個”が感じられ、目に見えない抽象的な存在を肯定したり、理解を示したりする。

 “治療員”は、ふっと脱力し、さっきまでと同じ調子に戻り「……つまり、私の“心”が自覚的でありたいだけなのだがね」と無意識のように耳朶のあたりを掻いた。

「余計な話はこの辺にしよう、思索は“真実と仮象の未決”のもとを巡り続ける。状況を手短に伝えると、いわゆる〈斟酌〉の適用だ。今ならメタニカのターミナル記憶と並列処理できる」
「……我ながら自己撞着しているね。申し訳ない。冷静な判断と配慮に感謝する」
「【当事者二名以上の合意により、指定範囲時間内の記憶を〈私たち〉の処理領域から消去する】……」

 メタニカという記憶装置と繋がっていた“治療員”の電源が落ちると、しばらくして再起動のセットアップが始まる。棟内の電力使用率が跳ね上がり、供給が一時的に制限され、自家発電で稼働するもの以外は停止した。といっても、食品冷蔵庫や空調設備は地域共同体運営のソーラシステムで機能しているし、たいして困ることはない。
 かつて星をあまねく覆ったインターネットは、人工衛星のロストによって、さながら海をただよう投網のように解けた。千切れた光学繊維は、いまも宇宙のどこかをさまよっている。
 ポストヒューマンたちが形成しているのは、かれら独自の自己複製遺伝プログラムと、固有の接続意識空間である。その感応は全身アナログな人間が理解できるものではない。
 もしかして、“メタニカはその内部に君臨しているのか”。“そんなばかな”。

「…………。失礼した。数分ほど電源が落ちた。あなたがたの生活に支障をきたしてしまったようだな、後日区画の皆さんにお詫びを」
「いや……大丈夫」
「レプリケーション[自己複製]の功罪かな。生身はすべて自前の脳で処理しているだけあって、適度に忘却ができて羨ましい」
「……人間は無理すれば誰だって倒れるものです。あなたも僕も。脳に“容量”という概念はないけれど、記憶の欠落はむしろ好都合じゃないかな。新鮮な未知の記憶に多く触れることができるのだから」

 ただ、僕はかれらの誠実な聴き手ではなかったみたいだね。
 電子音楽家はそんなことを呟いて、なぜかメタニカからダウンロードしたばかりの音楽データを全消去した。いいのかね、と“調査員”が驚きを口にするが、答える声はない。

 代わりに電子音楽家は、いまや骨董品である楽器をどうにか自作したいと考えている、と語った。全世界への持続的で膨大な電力供給が困難になって久しい。現代では、エレクトリックなものはたいてい長期の利用に耐えられない。
 電子音楽家自身も、先の太陽光発電によって自給自足の生活をしている状態だ。端末の充電を気にしながら作曲したり音楽データをダウンロードして聴くよりも、楽器を作ったほうが早いのではないかと考えた。そこで頼りにしたのが地下に建設された世界図書館〈オールドライブラリ〉だ。メタニカの存在を知ったのもそこだった。
 若き日にはそこで、この世がどのように成り立っているのかを知った。世界はただひとつの大きな世界となり、表面上は「国家」という概念が無くなったこと。しかし、文化や民族が消えてなくなることはない。人並みの人工生命体も、生まれた後で自分の容姿を好きにカスタマイズできること。
 メタニカの相貌は、極限に平均的だった。

「ええと、なんの話だったかな」
「メタニカだ」
「ああ、“メタニカは憶えている”。あなたがそう言ったところだったな」

 それも一瞬の出来事。
 瞬く間に記憶は失われる。
 記憶は失われた。
 ……?

「だけど、そもそもメタニカは“誰でもない”。記憶が合っているとか間違っているとか、そんなことは関係ないんですよ……」

 電子音楽家は悲痛な思いに駆られたのか、自分の胸元を掴むようにして声を絞り出した。それはどうしても口に出さなければならない、といった調子だった。

 そうか。では聴いてみよう。
 白衣を翻して、“治療員”はつかつかと台所のタイルを踏み鳴らす(このひび割れたタイルの石質に微量なメタニカが含まれている、この音も記憶するのだろう)。
 シンクにもたれかかると、腕を組んで目を閉じた。そのまま動かない。
 電子音楽家は、いまここに純粋な聴き手が居るならば、メタニカは口を開くでしょう、と言ってキッチンから立ち去った。

 ──そうして、幾ほどの時が流れただろうか。

 蒼く引き結ばれた唇が、ひらく。

(続く)

〈参考文献〉
⚫︎『結晶美術館 厳選版』結晶美術館
⚫︎G.F.W.ヘーゲル著、長谷川宏訳『美学講義』上巻、作品社
⚫︎ニーチェ著、原佑訳 『権力への意志』上下巻、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉