見出し画像

「最近考えた『文化』のこと」


最近考えたこと

「伝統や文化の継承」
ニュースでも講義でも何度も向き合うことが多かったこの話題。自分とは無縁の話だと思っていましたが、少し身近に感じたことがあったので今日はそれについて書いてみようかなと思います。


幼少期大好きだった親戚の集まり

これは少し悲しいけれど、現在ではなく自分が小さいころの話です。
自分の母方の実家では、毎年のように20~30人くらいの親戚で集まりクリスマスパーティや旅館に泊まったりしていました。
物心ついたときにはどの親戚の立ち位置かわからないようなおじさんやおばちゃんの名前も覚えていました。
みんな優しくてたくさんの愛を受け取ったのを覚えています。

ちょっとした祭りのようなその集まりは、年齢関係なくテーブルを囲みみんなでゲームをしたり、いつもは寝なきゃいけない時間まで起きていたり、寝る前にアイスを食べたりカルピス牛乳を飲んだり、自分たち世代(孫世代)で集まって歌の発表会をしたりと、それはそれは騒がしいもので、小さい僕にとってワクワクするものでした。

大の大人がスマホではなくカードをもって騒ぐところ
おばあちゃんやおじいちゃんが見守るのではなく一緒になって騒ぐところ
普段食べられない料理や全国のお土産を食べるところ
普段無口な人もその集まりだと大声で笑うところ
暖かく活気のある空間でした。


最近嬉しかったこと

時間が経つのはとても早くて、そんな思い出を思い出す余裕もなくなるような毎日をこなして大人になってきてしまいました。
コロナ禍に入り、みんなで集まることも自然と減っていきました。

そんな中、最近ラインで姉が「はとこ会」というグループを作り、みんなでまた集まろうとメッセージを送りました。
本当に嬉しかったんです。
またみんなで集まれる日が来るかもしれないこと。10年も会っていないはとこやなかなか会えないいとこが入ったグループが出来てまた繋がれたこと。
何より姉やみんなが自分と同じように考えていたこと。

些細なことかもしれませんが人と人との繋がりが物理的に遮断されたコロナ禍からこうやって抜け出していくんだぞと強く訴えられた気がします。

伝統や文化の継承

冒頭でも書いていますが「伝統や文化の継承」「伝統文化の担い手不足」とよく耳にします。
聞くたびに僕ではない誰かの話だと思って無視していました。
僕は簡単なことを忘れていました。
『伝統』『文化』は何百年も続けられてきた祭りや歌舞伎、塗り物や焼き物だけではないんです。
僕がまたやりたい親戚での集まりも、伝統とは言えずとも文化の一種であると思うのです。
あの空間は、何百年先の名前も知らない子々孫々に伝えたいものなのです。
その思いさえあればそれは文化なのではないのか?と最近考えました。


姉の一つのラインがきっかけで忘れていた大切なものを思い出せた気がしています。
率先して文化の担い手になっていこうと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?