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義父の闘病を見て

義父の状況が思わしくありません。リンパ腫が腹部を圧迫し、食事が困難になり、腸の膨張も苦痛を増しています。このような状況で、哲学好きな義父が「もう哲学やイデオロギーなどどうでもいい」と言いました。目の前の痛みが全てを覆い尽くし、他の事柄が全く意味を持たなくなってしまったのです。義父が好きな新聞の切り抜きや庭の手入れもできず、痛みが彼の楽しみを奪っています。

2020年には約7割の人が病院で亡くなっているという統計があります。これは家族に迷惑をかけたくないという理由で病院を選ぶ人が多いからでしょう。在宅での病人の世話は大変で、トイレや風呂、緊急時の対応など、家族の負担は計り知れません。そのため、多くの人が仕事を犠牲にして介護に追われることになります。しかし義父の家族は、彼を支え共に在宅で暮らしています。

共に過ごしてきた人が突然いなくなることは、計り知れない悲しみと喪失感をもたらします。これまで一緒に話し、旅行に行き、楽しみを共有してきた人がいなくなることは、想像を絶するものです。お世話ができるだけでもありがたいことなのかもしれません。

義父が「今日生きていることに感謝している」と言ったことは、彼の率直な感想でした。日常の当たり前のことに感謝できる姿は、目の前でその人の苦しみを見ているからこそ、より深く理解できるのです。

そして、自分自身の死についても考えざるを得なくなります。もし明日死ぬとしたら、自分は何をするでしょうか。日常の悩みは死に比べればどれほどのものでしょうか。死についていろいろと考えさせられます。

家族が直面するこのような状況は、私たちに多くのことを考えさせます。本人の痛みや辛さを近くで感じ、介護に追われる現実の中で、共に過ごす時間の大切さを改めて感じ、日々過ごしていきます。そして、自分自身の人生を見つめ直し、日常の当たり前に感謝することの重要性を再認識します。

以前から困った時には義父に相談し回答を得ていましたが、今回闘病を通じて、また、義父からいろいろと教わる事になりました。この経験が、自分の生き方や価値観に大きな影響を与えることは間違いありません。

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