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最後の対話

義父が食べることができなくなり、2回も吐いたと聞きました。医師からは、あと1週間もつかどうかという診断が下され、遺言も残したそうです。義父は覚悟を決めているのでしょう。

しかし、私は会いに行くことができません。最後に会ったとき、哲学の話をして「もう終わりだ」と何度も言われました。きっと、義父が期待する姿に自分が達していなかったからだと思います。

義父は自分に「人のために死ね」といったことを何度も言いました。これは私には受け入れがたいものでした。嘘をついて受け入れたふりをしても、見抜かれるだろうと思いました。次に話す言葉が出なくなり、これ以上哲学の議論は続けられないと思い、その日は去りました。

これ以上何もできず、話すこともありません。ただ座って見ていることもできず、その日以来、会うのをやめました。これ以上会っても、互いに納得する話ができないと思ったからです。

義父との最後の会話は、私にとって重いものでした。しかし、全ての対話が完全に理解し合えるものではありません。いつの日か、義父が言ったことを年齢を重ねることで理解できる日が来るのかもしれません。しかし今は全ての期待に応えることは難しいのです。義父もそのことを理解してくれていると嬉しいのですが。

今まで義父との対話で、学んだことや感じたことは、私の人生において大切な思い出でした。しかし最後は互いに納得できない結果に終わりました。私は以降、自分の価値観を大事にしながら、義父の言ったことを心の片隅に留めて生きていこうと思っています。

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