僕だけが正常な世界を見た

タイトルそのまま、以下は批判含めた感想の覚え書き。

私は水野美紀さんの舞台は「ヒ」キゲキのテクタイト、今回の僕だけが正常な世界で拝見したのみですので、的外れなのもあるかも知れませんがそのあたりはご容赦ください。

私はただでさえハードルの高い舞台作品で、
「一回で理解できない舞台は駄作」と思ってる派です。
理解した上で何度も足を運びたくなる、が「余白」であり、水野さんの言う余白は余白じゃなくてとっ散らかり或いは芯のなさ、或いは混線にしか私は感じない。

テクタイトも同担の間ではめちゃくちゃ評判がいい(多分)ですが私は今回の僕だけが正常な世界も含め、
「取り扱うテーマの割に内容が軽い」
※勿論これは重いテーマを軽く見せたいという意図があるとは思う。
という印象があり、なんだかなぁと思う。

私は自分で言うのもなんだがADHDの友人が多い。
私自身別に診断を受けてないが、ADHDグレーゾーンなのだろうなと思う。
手帳とれない程度だろうし慢性的な抑鬱状態ではあるが別に生きづらさもないので、まぁそのうち診断受けたいなー程度の人間である。

さてこの舞台、ADHDの主人公がテーマな、らしい。
らしいというのは脚本からADHDを何か特別な人だと勘違いしてないか、軽度知的障害と混同してないか、と思うからである。
パンフレットにも主演が「僕もそうかもと思った」とあったが、マジでADHDってぶっちゃけ大半の人間が当てはまる。
そこで生きづらさを感じると診断をくだし、生きやすい方向に誘導する、というのが私は診断の役割だと思っている。

前述したように私の周囲はADHDの友人が多い。
私は遠回しに言うのも苦手だし同調圧力というものがクソほど嫌いで空気を察しろというのをやらないのではっきりものを伝えるので多分ADHDの人達に波長を合わせやすいのだと思う。
ADHDって、ほんとに特別な人間ではない。
皆が少しずつ当てはまるぐらいにありきたりで、なのにどこか生きづらい。
軽度の知的障害でもないので、喋り方も普通です。
勿論特性によるのはそれはそう。
ただねーーーミチルはねーーーーーーー
あれはADHDじゃなくてASDなんだよな……。

なんか元気が序盤のシーンでADHDっぽさがあったので、あーミチルと元気でASD⇄ADHDの叙述トリック?と思ってたら多分…………そうでもない……?
パンフではASDには触れてないし…。
ほんとに申し訳ないけれども、そんな解像度でADHDを取り扱ってるの??

というこれが冒頭で私が書いた、「取り扱うテーマの割に内容が軽い」です。

めちゃくちゃ根本を揺るがすことを言うと、ADHDはやらかすだけで空気が読めるんですよね。
ASDが空気読めないやつ。
前に見たすげーわかりやすいツイーヨがこちら。

テクタイトでは多重人格者を取り扱っていましたが、なんか本当に…あの…
いやっこれは私も詳しい方であるというのは勿論あると思うんですけど…。
詳しくないならセンシティブなものを取り扱うのやめな…って思ってしまう。明確な診断名を出す割に違うのでは…!?になってしまい、なんだか合わねえな〜が強まってしまう。

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