季節はずれの雪が降り、視界に広がる景色は"白"が占めるようになったことで、いかに日常に色が溢れているのかを知った。普段見ていた色も全部、雪が隠しているのを見て、コロナウイルスとか、色んな人たちの不安な気持ちとかまで覆ってなくしてくれたらいいのにって思う。

"白"って不思議な色で、個人的にはとても好きだ。
キャンパスは白いからこそ、人は何かを描きたくなるんだろうなと思っている。
そう考えるようになったのは、幼い頃に読んだある都市伝説が影響しているのかもしれない。
その都市伝説はこんな内容だった。

「人間は白い部屋に閉じ込められるとみんな死んでしまう。色を求めて血の赤を見たくなるから」

という鼻で笑ってしまうような話だったけど、
真っ白な部屋を想像して怖くなっている自分がいた。
「人って色を求めるのか」ということを知り、
一方で、「白だって色だよな」と思ったことも記憶にあって、結果的に今でも忘れられない話になっている。そこから白は自分にとって不思議な色になった。

最近はよく、余白について考えている。
余白という言葉にも"白"が入っているのだけれど、
僕はこの言葉に日本人の美しい感性を見ている。

キャンパスに絵を描き始める。
西洋画はいかに白を埋めて、目に写る景色をキャンパスの上で表現できるかという世界観に対して、
日本画は何も書かない余白で空間の遠さや広がりを表現していたという。
余白のことを英語でnegative spaceって言ったりもすることから、西洋と日本の余白に対する意識の差ってかなり大きいのだと思う。

僕らは"白"が何も無い色ではないことを知っている。そして、余白があるからこそ何かが生まれたり、新しいものを作りたいって思うのだろう。
翻って今の日本はどうかというと、多くの人たちは忙しすぎて余白がないように見える。
余白がないと面白いものは生まれなくなってしまうし、日常に色が溢れすぎていることにすら、気が付かないのだろう。

そんな日常に、
外出自粛要請がでて、今日は雪も降った。
"白"が広がった。

誰もが望んでいた形ではないのかもしれない。
けれど、たしかに時間は出来た。
それなら置かれた状況でいまを楽しもう。

家でゆっくりと過ごそう。
余白を作ろう。
そうしたら溢れている色にも気付けるかもしれない。

本来、僕らは"白"を上手に使っていたはずだから。

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